タリン、ヘルシンキ旅行記 4

タリン、ヘルシンキ旅行記 4

2021年7月24日

この時期のエストニアは天気が変わりやすく、肌寒い。ぽつぽつ降ったかと思うとすぐに上がる、たまに青空も見えることがある、という中途半端な天気だ。傘をさしたりつぼめたりを繰り返しながら歩いて回る。

あたりは古い建物ばかりで、まるで中世の街中を歩いているようだ。石畳の道は、足にこたえる。道でアコーディオンを弾いている大道芸人さんがいた。

城壁の上を歩いている人達が見えた。あとで、自由時間の時に上がってみようと思ったのだけれど、どこから上がるのかがわからなくて、叶わなかった。残念だなあ。

冠をかぶったカエルの雨樋があって、雨が降るとそこから盛大に水を吐くのだという。カエル好きの私はちょっと嬉しい。が、夫が言うには、これは龍だという。確かカエルだと聞いたような気がしたんだけどな。どっちなんだろう。


広場に出る。タリンはハンザ同盟都市である。「都市の空気は自由にする」といわれた都市である。地方から、自由を得ようとここにたどり着いた旅人の気持ちになる。


よく見えないけれど、塔の上にいるのはトーマスおじさん。旧市庁舎の上で、風見鶏の役割をしている。


旧市街の海側の入り口にある「太っちょマルガリータ」。今は海事博物館になっているという。かつて港の入口にこれがあって、タリンの玄関だった建物である。


お昼ごはんは、豚の煮凝り。例によって大雑把なサラダの後に、これが提供される。エストニアって、食べ物は割と質素なのかも。


そこから、自由行動になる。我々は雨を避けて、老舗チョコレート屋カレフのカフェに入って一休み。その後、小道を幾つも回って、雑貨屋を探索。面白いものをたくさん見つける。


「セーターの壁」というニット製品をたくさん売っている道で、娘のリクエストだった「カルテットのツバメちゃんみたいな赤いカーディガン」を探して回るが、これといったものが見つからない。寒い地域なので、分厚くてどっしりしたセーターが多く、日本向きではない感じがする。

日本でいう室町時代からあったという薬屋を見る。失恋の薬なんかも売っているそうだ。奥は小さな博物館になっていて、昔の製薬の器具や原料が置いてある。乾燥させたカエルとか、ハリネズミの死骸とか。

小さい博物館にも入る。エストニア独立のいわゆる「人間の鎖」に関するビデオがずっとかかっていて、中は種々雑多なものが陳列されている。小学生たちが社会科見学に来ているようだった。

北欧は琥珀の産地である。琥珀屋がたくさん並んでいるが、ここから恐竜のDNAが・・・なんてちょっと考える。あまりにも大きくて立派な琥珀が多すぎて、返って欲しいと思えなくなってしまう。

夜は指定のレストランに集合。スモークされたチキンを食べながら、民族舞踊のショーを見る。陽気な田舎のおばちゃんとおじちゃんのダンス。最後はうちの息子まで一緒に踊らされていた。

←「タリン・ヘルシンキ旅行記3」へ  「タリン・ヘルシンキ旅行記5」へ→

2017/10/16