ベトナム旅行記(その8)

ベトナム旅行記(その8)

2021年7月24日

ホテルに戻る。例によって暑さでヘロヘロになっているので、初日から眺めてばかりいたプールに入ろう。


プールサイドで欧米人の女性が一人、本を読んでいるだけで、プールは貸切状態である。中に入ると、おお、気持ちいい。泳ぎ進むと、どんどん深くなって足が届かない。うーむ、長身の西洋人仕様か。一番深くなっている向こう岸に浮き輪がおいてあったので、それを身体にくぐらせ、ゆっくり浮く。もう、このまま眠ってしまいたい。

夫は一往復すると、早々に水から上がり、プールサイドのベッド・ソファで寝転んでいる。私はもう少し泳ぎ、それから上がる。

プールサイドバーのボーイさんがライム入りの水を運んできてくれたので、メニューを貰って夫は「チャーリー・チャップリン」というカクテルを頼む。チャップリンが新婚旅行でここに泊まった時のカクテルだそうで、シャーベットが添えられている。私はなんちゃらモヒート(名前を失念!)というミントの葉がたくさん入ったジュース。甘いけど、ミントの香りが爽やかだった。

体が冷えると楽になる。昨日もヘトヘトの午後、プールに入ったら回復したかもね、なんて話し合う。でも、泳いで疲れちゃったかも。そんなにたくさん歩いていないのに、連日の疲れなのか、暑さ負けなのか、ふたりとも覇気がなくなっている。今日は最終日だから、もっと観光に出ていってもいいのに、もう、そんな気力はどこにもないぞ。

とにかく、部屋に戻ろう。シャワーを浴びて、着替えて、濡れた水着をバスタオルに挟んでぎゅうぎゅう絞ってビニル袋に詰めて、周囲を衣類で包む。スーツケースにあれこれ荷物を詰めて、ああ、もう帰り支度か。

お腹もそんなにすかないけれど、とりあえずなんか食べとかなくちゃね、ということで、夜はバーになるレストランに入って軽食を取ろうということになる。メニューを端から読んで「 bánh mì,」を発見。おお、バインミーではないか。頼もう、頼もう。夫はビール、私は紅茶。この紅茶がまた、美味しいったら。


バインミーはフランスパンに野菜やハーブや肉やレバペーストなどをはさみ、ニョクマムで味付けしたベトナム風のサンドイッチだ。こんなに大きいの、食べられるかしら、と思ったけれど、ぺろっと行きました。意外に軽いのよ。

それからお部屋で荷造りの続き、そして、休憩。歳だよなあ。ほんと、疲れがなかなか取れない。というのもあるし、このホテル、実に居心地が良くて、ずっとお部屋にいるだけでも全然大丈夫。試しにテレビを付けてみたら、なんとNHKプレミアムとかいう放送をやっていて、みんなで工作をする日本の子供番組を見ちゃった。

さて、そろそろ行かねば。ロビーに降りて、まずはチェックアウト。荷物を預けて暫く待つと、昨日ゴさんが申し込んでくれたホテルのガイドツアーが始まる。

このホテルの名前は「ソフィテルレジェンドメトロポールホテルハノイ」。フランス植民地時代に作られた伝統あるホテルである。古くはグレアムグリ-ンの定宿で、チャールズ・チャップリンやサマセット・モームも宿泊したとか。ベトナム戦争中は、反戦運動のため、ジェーン・フォンダも宿泊。ズラッと並んだ宿泊者名簿を見せてもらったけれど、日本の有名人として「林寛子」があげられたのは、なんとも微妙な感じ。

今年の二月には、金正恩とトランプが会談し、散歩したのもこのホテルである。宿泊したのは別のホテルだって。その他にも、クリントンとか、各国首脳が泊まっているらしい。

古い写真をいくつも見せられる。まだ道にバイク群が走っていない、のどかな風景だ。

例のプールの下にはベトナム戦争中に使用された防空壕が残されている。これの存在はしばらく忘れられていたが、2011年、バーの改装工事中に発見されたという。

防空壕の入り口。我々は、ヘルメットをかぶって中に入る。


防空壕の中。とても蒸し暑い。


ベトナム戦争中、ジョーン・バエズが空襲にあってここに避難したという。そのときの歌声と、空襲の録音を聞かせてもらった。この狭い、暗い、暑い空間に逃げて、上からは爆弾が降ってくる。もしかしたら、そのまま埋められてしまうかもしれない、燃えてしまうかもしれない。そう思ったら、息苦しく、恐ろしく、たまらない気持ちになった。

暑い閉鎖空間から出たら、プールサイドバーで冷たいジュースが振る舞われて生き返る。やれやれ。戦争なんて二度とゴメンだ、と心から思う。

それからあとは、帰国の途。初日の元気なノックさんがお迎えに来てくれて、空港までバスに乗る。空港に向かう途中、ニャッタン橋という日本が作った橋を通る。ここは夜七時から十時まで七色にライトアップされる。来たときは、時間が過ぎてライトは消されていたのだけれど、今日はゆっくり見られる。

 
空港に着いて、深夜の飛行機が出発するまで長々と待たされて、飛行機に乗って、「ボヘミアンラプソディ」の続きを見ながら眠って、気がついたら日本に帰っていた。ああ、疲れた。疲れたけど、中身の濃い旅行だった。もっと若かったらもっと中身が濃くなっただろうけれど、これくらいが丁度いいかも。

出会ったガイドさんたちは、みんな「ベトナムには4000年の歴史がある」と言っていた。長い歴史の中、常に他国に支配され、戦い続けてきた国でもある。中国、フランス、日本、アメリカ。様々な国に侵略されながら、独立を勝ち取った。そのことを、誰もが話してくれた。人々には活気があり、子供たちは生き生きとして、自然が豊かで、将来に希望がある国だと思った。こんなエネルギー、私たちにはないんじゃないかと思った。

ちなみに旅行中には、娘が「ちゃんとお腹を壊したよ」と言ったようにはならなかった。帰国後にちょっとお腹がゆるんだが、疲れのせいか、食べ物のせいかは不明。結局、ベトナムの通貨は最初に両替した1万円分だけでうんとお釣りが出た。150,000ドン残ってるけど、何に使えるかなあ。正露丸も虫よけも必要ない、快適な旅だった。

読んでくれた人も、お疲れさまでした。いつか機会があったら、ぜひ、ベトナムに行ってください。

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2019/9/21