ミナ・ペルホネン

ミナ・ペルホネン

2021年7月24日

177

「皆川明の旅のかけら」文化出版局

178

「ミナ・ペルホネンの時のかさなり」皆川明 文化出版局

 

「ミナを着て旅に出よう」の皆川明。すっかり気になってしまって、頑張って「ミナ・ペルホネン展」にも行っちゃいました。遠かったけど、行ってよかった。

この二冊に載っていることの大半は展覧会の会場にあったと思う。作品も、彼の考えていることも、仲間との関わりも、ものづくりに対する姿勢も、すべて。

皆川明という人は、デザイナーと言うよりは現代のアーティストであって、洋服だけでなく家具やアクセサリはもちろん、芸術をつくっているのだと感じた。彼のテキスタイルは、ただそれを眺めるだけで楽しいし、色々な世界が広がる。また、そこに長いこと愛着を持って関わった人の魂も宿っていくような感覚がある。

靴や足袋や椅子やタータンチェックや絵やボタン。関わった人々との思い出や交流が作品に流れ込み、ミナ・ペルホネンの世界を作っている。

皆川明はアイディアを思いつくと鉛筆でスケッチをするという。線の走りが瞬間を描き留めるのに丁度いいからだという。

コンピューターでは、様々な画材の表現を、画面上で作れてしまうけれど、ぼくはそのように描くことに違和感がある。それはなんとなく、緊張感が持てないからかもしれない。やり直しが簡単にできてしまうことや、遠隔操作のような感覚で、描くということの実感がわかないからだと思う。
 修正という行為が、時々自分の大切な癖や、リズムを図案上から消してしまうときがあって、時間が経ってから後悔することがある。
 気に入った道具を使っていると、自分の頭の中のアイディアが、自然と道具に伝わってきて、紙に写し取れていく。とてもシンプルな気持ちになって、描いているうちに何も考えていないような、描いているという感覚すらなくなってくるようなときがあって、それは本当に”夢中”という言葉がぴったりの状態なのだ。僕は意図した方向の中に偶然が混ざっていくのが好きで、絵の中にそういう部分が残っているのを、大切にしたいと思っている。
           (引用は「皆川明の旅のかけら」より)

機械を拒絶する限りにおいて、量産は無理であり、ミナ・ペルホネンの作品は少なく大事に作られて行くわけだ。それはいわば芸術品でありながら、その芸術に買い手も参加でき、新たな意味合いや色合いを足していくことができる。と、してもだ。たまに展覧会で眺めたり、お店でうっとり見たりすれば十分だよな、と展覧会の洋服の森に圧倒されながら、しみじみ思った私である。美しいものは、そこに大事に置かれてあれば、また見に行けるからね。

2020/2/4