不死身の特攻兵

不死身の特攻兵

2021年7月24日

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不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」鴻上尚史 講談社現代新書

 

九回特攻に出撃して九回生きて帰ってきた人がいる、と聞いた鴻上尚史が、その人を探しあて、お話を聞くことができた。それを元に「青空に飛ぶ」(講談社」という小説を書いたが、改めてノンフィクションという形で本にしたのがこれである。
 
特攻隊を語ることは難しい。それが犬死だったということが、お国のために戦い死んでいった若者たちを侮辱することになる、という人もいれば、あれは犬死だったということこそが彼らの霊を救うことになる、という人もいる。だが、死は厳然たる死である。多くの人たちが死んでいった、という事実を、私達はありのままに受け止め、一人ひとりの胸に刻むことこそが大事なのだと思う。そのうえで、特攻とはどういうものだったのか、をきちんと捉えることは、これから私達がどう生きていくかを今一度考えるためにも、とても大きな意味を持つものだと思う。
 
九回出撃して生きて帰ってきたのは佐々木さんという人である。当時21歳。彼は、決して逃げて帰ってきたのではない。爆弾を載せて現場に行き、爆弾を投下して敵に損害を与え、任務を遂行して帰ってきているのである。それを卑怯という謂れはまったくない。
 
この本で初めて知ったのだが、飛行機ごと突っ込むという戦法は、実は決して有効性を持つものではない。飛行機とは、本来、揚力を持つものであり、スピードを出せば出すほど揚力は増す。であるから、上空から敵艦に飛行機ごと突っ込むと、飛行機は浮力を持った結果、敵艦に与えるダメージはむしろ小さくなるのだ。ましてや、突っ込んで終わりだから、と一部は布張りの飛行機を最後には使用したというから、たとえ体当たりが命中したとしても、それほどの威力はない。一方、爆弾を出来る限り高い位置から投下すると荷重が加わって爆弾の威力は増大する。であるから、そちらのほうが、戦力としてはずっと有効なのである。
 
にもかかわらず、特攻という戦法が採用された。飛行機を知悉する製作者や飛行士たちは、それが無駄であることを早くから主張し、効果的な爆弾を作成することを求めていた。体当たり攻撃がいかに無力で効果がないか、という理論的な反論公文書も怒りを持って提出された。だが、陸軍の航空本部と第三陸軍航空技術研究所(三航研)は理論を放棄し、「崇高な精神力は科学を超越して奇跡をあらわす」と精神論を主張した。
 
実際に特攻における敵への損害は、実は非常に微小なものであった。公式に残されている記録は、実は敵艦のごく一部をわずかに損傷したものも効果アリとカウントされた結果に過ぎないことも後にわかっている。
 
飛行機がどんなものであるかを知悉しているものは皆、特攻攻撃が無駄であるとわかっていながら出撃せざるを得なかった。そこで、佐々木さんは、爆弾を飛行機から切り離し、爆撃して命中させ、帰還するという行動を自己判断で行ったのである。
 
佐々木さんが投下した爆弾が敵艦に被害を与えたことで、佐々木さんは軍神に祭り上げられ、故郷のほまれと讃えられた。ところが、そこへ佐々木さんが帰還する。上官は、なぜ生きて帰ってきた、と怒りまくるのである。飛行機も無事に持ち帰ってきて、次回の攻撃にも使える、有能な飛行士の佐々木さん自身もまだ無事である、爆弾は確実に投下された。であるのに、佐々木さんは大罪を犯したかのように扱われ、またすぐに出撃を命じられる。今度は死んでこい、と。もう、そこにはなんの目的もない。お国のために体当たりで死んでいったという美談を成立させる以外の道は残されないのである。そうして、彼は九回も飛び、爆弾を投下しては戻ってきた。
 
特攻を命令する側にいた人たちの証言がいくつも残っている。少年飛行兵、学齢の浅いもののほうが、文句を言わずに飛んでいく、学があるやつは理屈をこねる、という言葉もある。知識があって、その攻撃が無益であると知っているものが、もっと有効な攻撃をすべきであると主張することは、上官にとっては許すことのできない違反でしかなかったのである。体当たりをして死んでいく兵士の美談が何よりも大切にされ、それによって国民の精神を高揚させることこそが目的となっていた。それが、無益な、無駄な攻撃であったにもかかわらず。そのことを、今、私達はしっかりと知識として知るべきである、と思う。
 
この国には、強い同調圧力があって、「皆がそう思っている」「皆がそうしている」に異議を唱えることが難しい。たとえ自分の意見が正しいと論理的にわかっていてさえ、黙って大勢に従うことを選ぶ人が大勢いる。それが、大人というものであり、身を守るすべであるとされている。けれど、それは違う、ということがどんなに大切か、そして、それを身を持ってやってみせるということが、どんなに勇気が必要で、意味があることか、を佐々木さんという人の存在は教えてくれる。
 
どんな流れがあるにしても、その流れに身を任せる前に、一人立ち止まって、それは本当に正しいのか、私は今、どうあるべきなのか、を自分自身に問う力を、私達は持つべきなのだと思う。少なくとも私はそうありたい。
 
 
余談だが、11月1日、父が亡くなった。父は、予科練飛行兵の一人であった。終戦間近、15歳で志願して海軍の飛行士訓練生の一人となったのである。だが、実際には訓練のための飛行機は一機もなかったという。基地や防空壕の建設などに従事する中、空襲を何度も受け、同期の多くが亡くなっている。父より早く予科練に入隊した人たちの多くは特攻隊の中核となって命を落とした。父がかろうじて生き残ったおかげで今の私がいる。父は、目の前で多くの人が爆死するのを見たが、89歳まで生き永らえた。僅かに残った予科練の仲間たちとはごく最近まで交流があった。生死を共にした、大事な仲間だったのだろう。私達は、彼らがどんな思いをしてどんなことをしてきたのかを、覚えておくべきだと思う。

2018/11/8