夜はまだあけぬか

夜はまだあけぬか

2021年7月24日

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「夜はまだあけぬか」 梅棹忠夫 講談社

私の日記「大津波と原発(その2)」でちょっと触れた梅棹忠夫さんです。

一九八六年の三月、突然に両眼の視力を失ってから、三年以上の年月がながれた。現在においてもわたしの目はよくなってはいない。ものの形はぼんやりとわかるが、色はまったくない。よみかきはもちろんできない。すべてはうすくらがりの世界である。
学問をこころざして、研究で身をたてているものにとって、これはもちろんおおきな痛手であった。たまたまわたしは老年の域に達して、しごとのしめくくりをつけなければならない時期にさしかかっていた。しかし目がみえないのでは、どうしようもない。なにか方法はないものかと、文字どおり暗中を模索した。その奇妙な体験の記録がこの本となった。

(引用は「夜はまだあけぬか」 梅棹忠夫 より)

梅棹氏の精神力の強さ、知識と教養と思考力の深さ、冷静さに圧倒される。圧倒されながらも、このような凄まじい知の巨人でも、このように心を乱されるのだと同時に思う。

私は、活字がなければ生きていけない人間なので、視力を失うことに恐怖を感じる。そして、そうなったとき、どのように生きて行くのだろうと考えこむ。

それでも今は、まだ様々な機器が、目の代わりとなってくれるだろう。梅棹氏の時代には、まだ、ネットもなかった。音声読み上げ機能なども、特製の時計くらいしかなかった。音楽の趣味もなかった彼が、音楽を聞こう、知ろうとしたときに、カセットデッキの使い方から覚えねばならなかった。

どんなに大変なことだっただろう。しかし、梅棹氏は、そのひとつひとつを何とか乗り越えていった。その過程が、恐ろしいほど冷静に描かれている。口述であろうが、この落ち着いた文体に、私は感嘆するしかない。

私の夫の父は、中年を過ぎてから失明した人だった。私が出会ったときは、既に視力を失っていた。義母が、そばに居てどんなに苦労したか、梅棹氏と同じように淡々と語ってくれたことがある。その冷静な口ぶりに、胸打たれた日のことを思い出した。

2011/9/11