屋久島・指宿旅行記2

屋久島・指宿旅行記2

2023年11月11日

トイレを済ませて、さあ、いよいよ縄文杉を目指す。私たちのグループは、男性二人、女性五人、それに男性のガイドさんの計八人。簡単に自己紹介し合って、出発。最初はトロッコの線路道を歩く。これが三時間続くんだって。トンネルを一つ抜けて、柵のない橋。高所恐怖症の私はちょっと怖い。下は大きな岩がごろごろしている安房川。

トロッコ道は枕木が滑る。早速、一回すっ転んだ私。膝を擦りむいたが、まあ、大丈夫。このあたりは昔は集落があって、屋久杉の伐採に携わる人やその家族が大勢住んでいたという。小学校の跡なんかもある。

三代杉という大きな杉を見る。一度倒れた木の株に、新しい杉の種が飛んできて根付き、新しい杉が成長する。それを「倒木上更新」という。それを切って板材を取った新たな切り株に、また杉が根付くのが「切り株上更新」。三代杉は、三代にわたって同じ場所で根付いた杉である。このあたりでトイレ休憩。

トロッコ道は長くて退屈だけど、ガイドさんの解説は結構興味深い。花崗岩でできた屋久島は稲作ができないので、人々は屋久杉で年貢を納めていた。川は岩だらけで木材を流して運べない。なので、縄文杉を切り倒したら、その場で板材に加工して、乾燥させて軽くして、人力で背負って運んだという。たいへんだなあ。

既定の大きさの板材にするために、大きな縄文杉を倒しても、均等な太さの部分しか利用しない。根っこから、ある程度の高さまでは、木の太さが均一ではない。そのため、足台をつくって、高い部分でで切り倒す。だから、大きな切り株がたくさん残っていて、切り株上更新が多いんだって。また、徐々に細くなる木の上部は使わずに、そのまま放置。それが土に埋まったのが、土埋木。土埋木は、実は屋久島土産の杉箸や杉製品に、近年、便利に利用されているそうだ。縄文杉は時間が経っても腐らないので、とても役に立つ。

トロッコ道が終わると山道になって、時々かなりきつい場所があるので、ちょっと予行演習しましょう、とガイドさん。若干の近道を歩く。おお、これはきついぞ。両手も使ってよじ登る。こんなのがずっと続くんですかあ?いや、一部だけだけどね、皆さん、何とかついてこれたし、よかったよかった、だって。

トロッコ道が終わる。循環式のトイレを済ませて、いよいよ山道である。「ここから地獄の一丁目です。」とガイドさん。「何丁目まであるんですか?」と聞くと「三丁目までです」だって。

険しい山道と木製の階段の地獄が続く。ひいひい言いながら歩くと、ウイルソン株。樹齢2000年ほどの大きな切り株である。屋久島の研究をしたウイルソン博士を記念して命名されたという。ウィルソン株は、中の空洞に入れる。下から見上げると、空がハート形に見える。

で、たぶんこのあたりでだったと思うのだけど、記憶が定かではない。お腹空いたなー、疲れたなー、と思っていた私は、なぜかふらっと木道から転倒、細い切り株に脇を強打した。いたたたた。「大丈夫ですか?脇、打ちましたよね?」と一緒のグループの女性が心配してくれる。腕をぐるぐる回してみるが、何ともない。ぶつけた場所は少し痛いが、特にひどくもない。夫も驚いて心配している。でも、平気みたいよ。ガイドさんが腕を回す私の様子を見て「折れてたら、そんなに動かせないでしょうし、大丈夫ですね。では、行きましょう。」と出発する。皆さん、ご心配おかけしました。

木道や急な階段が続く。地獄の二丁目と三丁目を歩き通す。湧き水ポイントで水を汲んで飲む。きれいすぎて味が無いような水。でも、冷たくておいしい。ここで昼食。またご飯の多いおにぎりのお弁当。でも、すごくおいしい。

地獄は三丁目で終わりかと思ったら、また地獄が続く。「四丁目がないとは私、言いませんでした」とガイドさん。ううう・・・。そして、樹齢3000年の大王杉。縄文杉が発見されるまでは、これが最大の杉だと言われていたそうだ。その傍には、3m離れた杉同士が10mの高さで融合した夫婦杉(めおとすぎ)が。見る角度によってはキスしてるみたいにも見える。

そこからさらに30分ほど。おお、ついに展望デッキが。そして、縄文杉に到達したのであった。

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