幻の「長くつ下のピッピ」

幻の「長くつ下のピッピ」

2021年7月24日

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『幻の「長くつ下のピッピ」』高畑勲 宮﨑駿 小田部羊一 岩波書店

 

その昔、宮﨑駿が「長靴下のピッピ」をアニメ化しようと交渉してリンドグレーンに断られた、というエピソードを聞いたとき、なんてもったいないことを・・・と歯噛みしたものだった。噂は単なる噂ではなく、本当であり、当時の字コンテやイメージボード、キャラクターデザインが残っていて、それが書籍化された・・と聞いて即座に予約を入れた。それが、この本である。
 
少し前から地元の図書館で児童書の読書会に参加している。奇しくも前回のテーマはリンドグレーンであった。読書会のため、久々にピッピ三冊を通読した私は、驚いてしまった。なんと、ピッピは、小さな女の子なのであった。
 
私にとってピッピは常に英雄であり、彼女さえいれば何の心配もない頼れる存在であり、決してくじけない、誰にも負けない強固な人間であった。ところが、おばさんになった私が読み返すと、それでもピッピは九歳の小さな女の子なのである。もちろんしっかりしていてなんでもできてしまうが、だとしても、やっぱり彼女は小さな身体で頑張っている健気な女の子でもある。そのことに、私は初めて気づいたのだった。
 
読書会には児童施設で保母をやっている女性もいた。小さな子がたった一人で大人に保護もされず、たくさんの金貨を頼りに一人暮らししてるなんて、虐待だ・・と思って読み進められなかった、と彼女は発言した。以前の私なら、何を言っているんだ、この人は、と思っただろうに、そうか、そういう捉え方もあるよな、と受けとめてしまう部分がある。そのことに、我ながら驚いた。おばさんになるとは、こういうことだったのか。
 
とはいえ、それでも私にとってピッピは永遠の英雄であり、誰よりも子ども時代を満喫し、子供の楽しさ、嬉しさを体中で表す大事な存在であることに間違いはない。お行儀は悪くても、おもいやりは深く、無鉄砲でも生活力に溢れ、教養はなくとも好奇心と洞察力は鋭い。彼女こそが永遠の理想である、と改めて思うのであった。
 
話題をこの本に戻そう。宮﨑駿のイメージボードのごたごた荘は、ヨーロッパのお城めいた作りで、やや美しすぎる感も否めない。が、なんと魅力的な家だろう。そしてピッピは、やっぱり小さな女の子なのである。そばかすだらけの、少しもじっとしていない、おさげのピンとたった、元気な女の子。
 
小田部羊一によるキャラクターデザインは、ピッピをさらにいきいきと描いている。後ろ歩きをするピッピ、立つピッピ、笑うピッピ。ニルソン氏や馬も、個性あふれる姿である。
 
私が一番感動したのは、高畑勲によるピッピをアニメ化するための「覚え書き」であった。スタッフ全員に原作尊重の方針を徹底させ、原作とその人物像を深く理解してもらうために書かれたこの覚え書きは、優れたピッピ論となっている。
 
どんな子供にも負けないくらい子供らしい子供、最もお行儀の悪い子、あそびの天才であって発明家、同時にどんな大人にも負けないくらいちゃんと奇妙に自活している子供、大人に指一本触れさせないどころか、いつも大人をヘコまし、いざというときはどんな大人よりも勇敢で頼もしい子供。ーピッピはそういう女の子です。こんなピッピを素晴らしいと思わない子どもは、世界中さがしても、ひとりだってみつからないでしょう。
 
もし万一いるとすれば、それは受験地獄のなかで親や先生の抑圧に屈し、ピッピにもはや嫉妬しか抱かず、「幼稚」と決めつけ、それを未来志向というゴマカシのなかにくるんでしまわざるを得ない日本の子供たちのひとりかもしれません。(中略)彼らを本来の子どもの世界に連れもどすこと、決してなまやさしいことではありませんが、「ピッピ」でこころがけねばならないテーマでしょう。
「おとなたちなしで、じぶんかってにやれることになったとき、それをかなしがる子があるってきいたりしたら、そのときこそ、わたしはね、竹さんの靴を、さかさまのほうから、まるごとおぼえてみせるわ。約束してもいいわ。」
                (引用は『幻の「長くつ下のピッピ」』より)
 
この本には、ピッピのアニメ化が頓挫した経過、そしてそのためのロケハンや準備が、その後の様々なアニメにどのように生かされていったかが書かれている。うちの子たちが大好きだった「パンダコパンダ」のミミちゃんは、やっぱりピッピが投影されていた。そうに違いない、と当時から私は思っていたのだ。
 
宮崎さんたちがピッピをアニメ化できなかったことを、私はひたすら口惜しいと思っていたのだが、これを読んで、事態はそれほど単純ではないということも理解した。アニメは情熱がなければできないことである。いろいろな事情が絡んで、一度ダメになった企画は、やはり取り返すことができない。後にリンドグレーンの著作権者サイドからアニメ化の要望があったそうだが、それは却下された。残念だが、それも仕方ないことだと納得がいった。
 
ピッピを簡単には映像化してほしくない、というのが私の願いである。ピッピを使うのであれば、こころをこめて、本当の愛情を持って、丁寧に扱ってほしい。タイミングが悪く実現しなかった宮崎アニメの断片的なピッピは美しい。だが、やはりそれは断片である。
 
私の中には、私だけのピッピがいて、笑ったり怒鳴ったり飛び跳ねたりしている。その子こそが、本当のピッピなのだと私は思っている。

2014/10/14