幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方

幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方

2021年7月24日

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「幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方」

きたやまおさむ よしもとばなな 朝日出版社

「帰れないヨッパライたちへ」以来のきたやまおさむである。今回はよしもとばななとの対談。

母と子の二重性、ストーリーの裏と面、人生の多面性など、あらゆるものは一括りにはできない、二面性があるということを中心に話が展開している。

きたやまおさむは若くして短い期間、シンガーとして売れた後に医師になるが、診察の現場で、芸能人になんかうちの子を診てもらいたくありません!みたいな対応を受けて愕然とする。それで一時期、音楽関係の友人関係をシャットアウトして、イギリスに留学したりもする。けれど、彼にとって音楽という場は必要なものであった。それは、楽屋と表舞台、表と裏、人間としてどちらも必要なものであったのだ。

よしもとばななも、若くして小説家として成功してしまったがために、本来の自分とヒット作家としての自分とに引き裂かれるような経験をする。そこを抜け出すためにも、よしもと「ばなな」は自分の本名を明かさない。吉本さんちの次女としての自分と、作家の自分の両面を生きている。

と軽く書いているけれど、ふたりともそれは壮絶な経験であったのだ。それを乗り越える過程で、人間の二面性というものに突き当たっている。どちらも必要。なにしろ、北山は、音楽から離れて鬱になったという。

私もこうやってブログを書いているときは「サワキ」だけれど、本名は「サワキ」と何の関係もないし、普段は別人間だものなあ、と思う。おちゃらけたおばちゃんだし、口うるさいおかあさんだし、親にとっては面倒な娘でもある。

自分の内面を語るということは、その分、自分を客観化して遠くから見るということで、それができただけで、問題は少し前進する。そういう自分を笑える余裕ができるのはとても大切なことだ。自分の二面性を自分で受け入れて、自分にはそういうところがあると思えるのと、世界に振り回されて場当たり的に生きるのとではちがう。自分が分裂していることに対する自覚がないと、病的なところへ行きあたってしまう。

こうやって分けのわからんブログを書くことで、きっと私は何らかの自己分析なり整理なりをしているのだと思うし、本を読むということがそれを媒介してくれているのだと思う。人は、それぞれに自分の支え方を持っているということなのだろうな。
2018/7/4