戸越銀座でつかまえて

2021年7月24日

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「戸越銀座でつかまえて」星野博美 朝日文庫

 

星野博美は面白い。現にこの本だって、グイグイ読まされてしまった。だけど、どこかで私は彼女に違和感がある。怖いと言うほどではないが、どこかで拒絶する力をいつも感じる。
 
最初は、彼女が私の大好きなナンシー関に関して「彼女に対する賞賛の裏に隠されているのは、自分は矢面に立たず、芸能人や文化人をメッタ斬りにして溜飲(りゅういん)を下げたいというズルさだ。」と書いていたことから来るのかと思っていた。この意見に対しては、大いに異論がある。だが、それだけではないことが、この本を読んでわかった。
 
 自分はたった一つ、「自由」という小さな選択をしただけのつもりだった。
 しかしこの「自由」というやつはものすごく強欲で、ストーカーのように執念深い怪物だ。ちょっと楽しそうな出来事が現れるたびに「俺とあいつのどっちが大事なんだ!」とわめき散らし、「お前は最後には俺のところに戻ってくるよな」と耳元でささやき続ける。それにすっかり洗脳され、楽しみや喜びが罪悪のように感じられる。
 自由という名の暴君が、人生を食いつぶし始めたのである。
                    
           (引用は「戸越銀座でつかまえて」星野博美 より)
 
 
中央線沿線、吉祥寺や西荻窪あたりで暮らしていた星野博美はそのあたりがおしゃれな変容を遂げたころから気が滅入るようになった。アメリカ資本のコーヒーショップでベビーカーに子どもを乗せた身なりの良い若夫婦に出会い、ファミレスで習い事の子どもの帰りを待つ主婦軍団に会うたびに、泣きたくなるようになった。彼らがさほど重視しない「自由」を守るために必死でやってきた自分に何があるのだろうか、と不安になったのだ。そんな矢先に飼い猫が死に、起きられず、布団から出られず、動けなくなる。そして、ついに実家のある戸越銀座へ逃げることを決意した。そこからの日々の物語が、この本である。
 
星野博美の書くものは面白い。人間観察は鋭く細かく、猫達へはあくまで愛情深く、自身に厳しく、正直である。他の人にはない独自の視点がある。だが、読んでいて、だんだん疲れてくる。なぜなのだろうと考えて、何だ、そうか、と当たり前のことに気づいた。私は、彼女が忌み嫌う、ファミレスでおしゃべりに興じる主婦軍団のひとりなのだ。私は、彼女が決して赦すことのない人間なのである。自由を売り払って、安穏な暮らしを選んだ堕落した人間なのである。
 
彼女の独自性は、実に面白いが、難儀でもある。赦す範囲がとても狭いのだ。他者に厳しいだけではない。自分のことも、あまり許していない。そういう意味では公平ではあるのだが、だんだん苦しくなる。本人も苦しかろうなあ、と思う。だから戸越銀座に逃げたのだろうが。
 
もう少し、いろんなものを許せるようになったら、生きるのが楽になるんじゃないかな、とおばちゃんたる私は思ってしまう。でも、それを星野博美は堕落と感じるのかもしれないな。

2017/3/13