日曜日の随想

日曜日の随想

2021年7月24日

171   「日曜日の随想 2010」 日本経済新聞社編 日本経済新聞出版社

「村田喜代子」で検索したらヒットしたので図書館で借りてみた。日本経済新聞の日曜版に連載されているさまざまな方の随想を集めた本だった。

そういえば私は何人もの人の作品が載っているアンソロジーのような本をあまり読まない。つまらないものがあったら嫌だと思ってしまうからなのだが、この本は意外にもほぼすべての随想がそれなりに読み応えがあり、しかもバラエティに富んでいていろいろ楽しめた。こういう本もいいものだ、と思った。

お目当ての村田喜代子さんの随想は、「縦横無尽の文章レッスン」にも載っている鍾乳洞探検のエピソードを書いたもので、それほど目新しいものではなかったが、やはり村田さんだけあって見事な文章だった。

だが、私がもっとも胸打たれたのは細胞学者でもある歌人、永田和宏の「後の日々」という随想だった。妻である歌人、河野裕子が亡くなってからの四ヶ月を淡々と書いたものである。

最後の一首となったのは、

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

という歌。この一首を私が私自身の手で書き写せたことを、幸せなことだったと思っている。
その前日には、やはり同じように十数首を私が書き写したのだが、その中に

長生きして欲しいだれかれ数えつつつひにはあなた一人を数ふ

という歌があり、書き取りながら、私は絶句するほかはなかった。

 生きてゆくとことんまでを生き抜いてそれから先は君に任せる

実際に河野裕子は「とことんまでを生き抜い」た。それならば「それから先は君に任せる」と言われた私がその後を生き抜くほかはないではないか。「任せ」られた内容は重いが、私にできることは、河野裕子という近代以来の傑出した女流歌人を書き遺すことと、尾のためにしっかり食べて自分を養うこと以外のことではないのだろうと思うのである。

(引用は「日曜日の随想 2010」日本経済新聞社編 より)

2013/1/25