日本銀行と政治

日本銀行と政治

2021年7月24日

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「日本銀行と政治金融政策決定の軌跡」上川龍之進 中公新書

政治経済は全く持って畑違いである。本来はこのような本には手を出さないのだが、「志のある本だ」という夫の感想に興味を持ち、手にとった。

最初に、中央銀行とは何か、が解説される。私のような門外漢にはありがたい章である。ついで、1990年代以降の日本銀行史ともいうべき歴史が語られる。日本銀行がどのような政策を取ってきたか、それにはどのような背景がありどのような理由があったのか。福井、白川総裁の時代を経て、黒田氏の就任、現在に至るまでが丁寧になぞられる。そして、終章では、日本銀行がなぜ追いつめられたのか、がまとめられている。

日銀からの視点で見た歴史の流れは、そんなサイドからものを見たことのない私には新鮮なものであった。そういえば、そんなことがあったな、そんな新聞記事を見たな、そうか、それはそういうことだったのか!と何度も驚いた。私って経済のことが何も判ってないんだな、と改めて思い知らされた。すっかり忘れていたスキャンダルや政争も思い出した。

専門的な本なので、考え考え読んだが、どれだけ理解したかと問われれば、ごめんなさい、と謝る他はない。一週間かけたんだけどな。そんな私のような物分りの悪い人間が感じたことは・・・結局、賢さって何なんだろう、という極めて漠然とした疑問である。

そもそも中央銀行に高い独立性が付与されるようになったのは、有権者から民主的統制を受ける政治家が金融政策の決定に影響力を持つと、短期的な視野による政策をとる傾向にあるからであり、民主的な統制を受けない中央銀行が、中長期的な観点から金融政策を決定することが望ましいと考えられたからである。
                (引用は「日本銀行と政治」より)

歴史をたどってみても、そ政治家は、その場限りで功を為しそうな政策を見せびらかして目先の人気を取り、それによって目前の利益・・・政権の維持やその時の選挙の勝利を得る。そんな短期的な視野によって物事は進んできた。

「田中角栄」を読んだ時の感想を、私は思い出した。田中角栄は、実利の人であり、体系的に学問を積んだ人ではなかった。その場その場で周囲の人が喜ぶことを積み重ねて人心を集め、権力を手に入れてきた。目先の利益を優先することが、先々にどんなに災厄をもたらすか。それは、その時考えればいいことだ、という政治的なあり方・・・それはどこにでもあった。原発はその最たるものであるとあの本では思い至ったものだが、この本を読むと、金融政策だって同じじゃないか、と思えてくる。

中央銀行の独立性の維持は、そうした政治家の目先を追う短期的な視野の弊害を排除するための大事な原則である。短期的にうまくいくとしても、長い目で見て、いつか破綻をきたすような政策はとるべきではない。逆に、即効性はなくとも、徐々に良い方向に向かうような政策を慎重に選びとるのが、真の賢さであり、進むべき道である。

安倍政権は大幅な金融緩和を求めるリフレ論を採用したが、たんに資産バブルを発生させるだけに終わる可能性もある。また、仮に異次元緩和が成功し、物価が上昇したとしても、日銀は物価安定のため金融引き締めへ政策を転換させることになる。その際に国債購入停止や売却に踏み切ると、国際の暴落と長期金利の上昇を引き起こし、金融システム不安や財政危機を引き起こす危険性さえある。が、「出口政策」について考えるのは時期尚早で、まずはデフレ脱却を優先すればいい、と彼らは主張している(そうである)。

短期的に見て、うまく行っているようにみえる今の財政政策は、中長期的に見たばあい、危険性が高い政策である。日本銀行が追い詰められている、という指摘は、つまりは独立性が維持できていない、ということだ。(違う?)

先を見通せる人は、目先の利益、今役に立つことを求める大勢の人の前では無力なのだろうか。長期的視野を持ち、今すぐには役に立たないが、我慢して、がんばっていけば良い方向に向かう何事かを提示し、人々を説得できるような真の政治家、経済人、実業家。そんな真に賢い人は、いったいどこにいるのだろうか、本当にいるのだろうか。

と、極めて情緒的な感想を持つに至ってしまった私である。あー、読むの大変だった、でも読んでよかった。どこまでわかったかわからないけどさ、なのである。

2015/2/2