朱より赤く

朱より赤く

17 窪美澄
「夜に星を放つ」以来の窪美澄。副題は「高岡智照尼の生涯」である。

高岡智照尼は実在の人物。1994年に98歳でお亡くなりになったというから、ごく最近まで生きていらした方。私生児として生まれ、父親に置屋に売られて芸妓となる。結婚話が進んでいた馴染み客の疑いを晴らすために小指を切り落とし、それを契機に東京へ出る。18歳で芸妓を落籍、妾となるが23歳で関係を解消して大阪へ戻り、相場師に認められて結婚、渡米。米人女学生との恋があり、帰国後は映画主演、自殺未遂、駆け落ちなどを経て離婚。バーのマダムや映画の大部屋女優などののち、故郷の奈良で隠遁。俳句や文筆活動で暮らしを立てる間、読経に励み、得度して京都の祇王寺に入庵。祇王寺は傷ついた女性たちの心の拠り所として話題を集めたという。いやはや、怒涛の人生である。ブロマイドが飛ぶように売れたという美貌の写真がネット上でも見られるが、なるほど美しい人である。

「昭和遊女考」では、北の街の廓の話を読んだ。美しい子は都会で売られ、ぜいたくな暮らしができるが、そうでもない子は適度な田舎で売られ、過酷な環境で毎日何人お客を取らされるという話であった。が、美しい子なら幸せかというと全然そんなことはない。きらびやかな生活をしているようで、何一つ自由はなく、体を売ることに変わりはなく、誰かにお金で買われて妾になったり、妻になったりしたところで不孝は続く。今、きれいな子がモデルになったりタレントになって芸能界でもてはやされていたとしても、裏ではいろんなことがあって、やっぱり幸せになれるとは限らないということも、最近特によくわかるしね。女の子はきれいじゃなきゃね、みたいな話は勘弁してくれと思う。

あらゆる選択を誰かに預ける人生って不幸だ。それが、たとえより良いものを選んでもらえるとしても、だ。何がより良いものかなんて自分じゃなきゃわからないからね。ましてや、お金で買われた人生なんて、どんなに裕福でも、充足しているように見えても、全然幸せじゃない。でも、女の人たちは、長い間、何も自分で選べずに生きる時代が続いていたんだなあ。(男性だってそうだ、という意見もあるだろうし、それもそうだと私も思うけど・・。)