東大生はバカになったか

東大生はバカになったか

2021年7月24日

「東大生はバカになったか 知的亡国論+現代教養論」立花隆

面白かったです。本書を勧めてくれた、パルティオゼットのお友達、某高校生君に感謝。

効率のよい暗記を中心とする受験勉強の弊害の指摘と、その結果としての、東大生に自分の意見を書かせた試験の回答レポートは、とても興味深いものがありました。もちろん、優れた回答も一割はあったそうですが。教官が言ったことをそのまま書き写したり、どこかの文献で調べたことをまとめるか、あるいは、意味不明、論旨が明らかでない文章だったり。誤字、脱字もすさまじく多いそうです。調べ、考え、自由に論じることができる場を十分に生かせる東大生は、一割程度。と、立花氏は指摘します。本当なら、悲しい現実ですね。

この際、東大の入学試験は、辞書も参考書も持ち込み放題にして、その上で、自由にテーマに基づいて論じさせるのが一番ではないかという提言に、私も賛成!無意味な暗記や、ただ教え込まれた事をアウトプットするだけが勝負の試験では、本当の学力も、学ぶ意思も、十分に測ることはできないと思います。

ドイツ文学のビルドゥングスロマンへの論及は興味深いものがありました。瑞々しい感性を持つ若者が、いろいろな人に出会い、いろいろな出来事に遭遇しながら、人生を学び、世界を学び、精神的に成長していく。友情、喧嘩、恋愛、別離、苦悩、試練など、人間が成長過程で出会う全てのことが登場し、それらを経て人間が成長していく過程を描く文学のカテゴリー。教養とは、そういうものである、ということです。机に向かって書物を紐解くのではなく、実践的に、さまざまな経験を通して、対象を深く広く知っていく。それこそが教養である、と、私も読んで深く頷きました。

東大に入ることで、東大生は、「賢い人」のレッテルが貼られてしまいます。文系などは特に、大学で学んだことを求めるのではなく、実際には就職してからOJTなどを経て、業務上のことは学べばいいので、ただ、単にポテンシャルの高さだけを求めて企業側が採用を決定します。その結果、大学時代の四年間を、真に学び、教養を深める時期として使わずにぼんやりとすごしてしまう学生が多く出てしまっています。なんてもったいない!!

本当は、真の意味での教養を身につけるのに、大学は必ずしも必要ないし、また、どの大学でもそれはできるのである、というのもまさに納得。巨大書店に行って、端から端まで書棚を眺めるところからはじめよう、という提案は、おお!まさに!私、図書館に行って、しょっちゅうやっております。教養は一向に深まらないけどさ。あらゆる分野で、自分がいかに無知であるかを知るためには、実に有効なやり方だと、身を持って知っております。東大生なら、もっと有効にそのやり方を活かせるのではないかしら。

結局、東大生がバカになったかどうかという問題ではないんですね。表題とは矛盾するけど。いかに、優秀な学生によりよい教育を与えることが出来るか。どうすれば、真に教養深い人間を育てることが出来るか。それは、学生の問題であると同時に、私たちみんなの問題でもあります。私たち親も、東大に入れることだけに熱中するのではなく、学ぶとはどういうことか、東大だろうがどこの大学だろうが、入るにせよ、入らないにせよ、そこでどんな風に何を学ぶのか、どんな風に成長してほしいのか、そのために親は何をできるのか、ってことをそれぞれがそれぞれの立場で考えていかなくちゃね、って、私はこの本を読んで思いました。

2007/6/26