99 寺田寅彦 岩波少年文庫
夏の岩波少年文庫フェア2025のために購入した本。寺田寅彦は、熊本第五高等学校時代に教師をしていた夏目漱石と出会い、生涯、彼を師と仰いだ。高名な物理学者であり、俳人、随想家でもある。
明治から大正昭和にかけて活動した人だが、その文章を読むと驚くほど古ぼけていない。科学者だったせいか、論理的で明快な文章である。
驚いたのは、「津波と人間」というエッセイで東北地方の太平洋側の津波襲来について警戒を呼び掛けていることである。明治29年の三陸大津波とほぼ同様の現象が昭和8年にも起きたことを取りあげ、以下のように書いている。
同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去においてなんべんとなく繰り返されている。歴史に記録されていないものが、おそらくそれ以上に多数あったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じことは未来においても何度となく繰り返されるであろうということである。
1933年時点で既に寺田寅彦が言っているじゃないか。なんでそんな場所に原発を立てて、非常用電源すらまともに準備しないでいられたんだ、東京電力、政治家、そして原発を推進した科学者たち。こんなに明確に警鐘が発せられていたのに。
皆、災害を忘れやすいということを彼は説いている。個人の記憶が頼りにならないなら政府が対策を設けるべきだが、役人は百年先には必ず入れ替わっている。災害記念碑を立てて永久的警告を残してはどうかという説もあるが、道路改修や区画整理などであちこちに移されてどこかの山陰に埋もれた頃に次の津波が来るかもしれないと指摘する。災害を防ぐ唯一の方法は、人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するよりほかはない、と彼は結論付けている。(実際に明治の三陸大津波の記念碑が二つに折れて転がされ、碑文が全く読めなくなっていたという実態が追記されていた。)
碑文と言えば、この間見た「黒川の女たち」という映画では、満州から黒川村の開拓村集団が戦後、引き上げに際し、彼らの身を守ってもらう代わりに村の若い女性をソ連兵に差し出した事実が描かれていた。皆のために犠牲になった女性たちは、引き上げ後に偏見と差別と侮辱に出会い、村に居続けることすら困難であった。彼女たちのおかげで命を守られたはずの村の幹部たちはこの事実を隠し続けた。その犠牲を忘れないために後に「乙女の碑」が建てられたが、それが何のための碑であるかは秘密にされた。が、90歳を過ぎた当時の女性たちが、ついに事実を公表した。それから、当時の村の幹部だった人の息子が懸命に調査をし、被害女性の意見を集め、文章を練った。今、村の乙女の像の横に碑文が置いてある。この歴史的事実を決して忘れないように、碑文が建てられたのである。碑文というものの意味を、私は改めて知った気がする。人間が過去の記録を忘れないことが、どんなに大切か、つくづくとわかる。
話はどんどんとずれるが、日本で最高峰と言われる大学の学生が、戦争中の苦労話や悲惨な経験などの記憶は一切記録しないほうが良い、と言うのを聞いたことがある。そんな感情的なものに引きずられるから正しい判断が出来なくなるのだ、と彼は言った。私は彼の「頭の良さ」に唖然とした。彼の中で、正しさとは何なのか、まったく理解できない。
で、本書である。寺田寅彦は「科学者とあたま」というエッセイでこんなことを書いている。
頭のいい人は、いわば富士山の裾野まで来て、そこから頂上を眺めただけで、それで富士の全体をのみこんで東京へ引き返すという心配がある。富士はやはり登ってみなければわからない。(中略)頭がよくて、そうして、自分を頭がいいと思いりこうだと思う人は、先生にはなれても科学者にはなれない。人間の頭の限界を自覚して大自然の前におろかな赤裸の自分を投げ出し、そうしてただ大自然の直接の教えにのみ傾聴する覚悟があって初めて科学者にはなれるのである。
これを読んだとき、私は前述の、戦争の記憶を残すなと言った学生のことを思い出した。きわめて頭の良い彼は、戦争というものを概念として遠くから眺めただけで全てわかった気でいたのだろう。だが、戦争は、実際にその中に身を投じてみなければわからない。頭から爆弾が降り、火の海に飲み込まれ、あるいは有無を言わせず帰りガソリンのない飛行機に乗せられて敵艦に突っ込んでいかなければ、あるいは、ある日突然たった一枚の赤紙ですべてを捨てて軍隊に入り、先輩軍人から毎日殴られるようにならなければわからないのかもしれない。
寺田寅彦のエッセイは、今を生きる私たちにそのままリアルに通用することが書かれている。私たちが忘れがちな大事なこと、賢さに溺れて失いそうな大切なことをまっすぐに教えてくれる。150近く前に生まれた人なのにね。
(引用は「科学と科学者のはなし」寺田寅彦 より)
