舞姫

2021年7月24日

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「舞姫 テレプシコーラ」一巻~十巻 山岸凉子 メディアファクトリー

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「舞姫テレプシコーラ 第二部」一巻~五巻 山岸凉子 メディアファクトリー

 

十年ほど前、図書館に行くたびに、「ダ・ヴィンチ」を雑誌コーナーで読んでいた。ちょうど「テレプシコーラ」が連載中で、読むのを楽しみにしていた。が、常に書棚に「ダ・ヴィンチ」があるとは限らず、飛び飛びにしか読めなかったし、そうこうする内に、例によって引っ越したりなんだりで中途半端なまま続きを読めずにいた。
 
この春の転居で、かなり遠いところまで自転車を頑張って走らせないと図書館には行けなくなった。けっこうたいへん。でも、見つけたのだ。座り心地のいい椅子のある雑誌コーナーに、何故か漫画も少々置いてあって、なんと「テレプシコーラ」が並んでいる!そうか、では、図書館に通うたびに一冊ずつ読んでいけばいいではないか。良いモチベーションとなる。と思ったのだが。
 
最初の二巻までは、行くたびに一冊読む、ができたのだが、三回目に行ったときには我慢ならず、五巻まで一気に読んでしまった。いや、本当はもっと読みたかったのだが、六巻が見当たらず、七巻以降しか置いていない。仕方ないので、六巻を予約した。が、この段階で、ちょっと疑問が。というのは、五巻を読み終えた時点で、「完」と書いてあったのだ。が、まだ伏線は全部回収されていない。確かに、ローザンヌは終結を見たのだが、物語としてはわからないことがたくさん残されている・・・・。
 
六巻はすぐに確保された。で、図書館に取りに行って、疑問が氷解した。なんと、私が読んでいたのは、第二部であったのだ。そして、第二部は、五巻で完結。私がわからない伏線だと思っていたのは、第一部でみんな知っていたことだったのね。私が予約した六巻は、第一部の六巻だったのね。そして、私が読んでいた雑誌連載も、第二部だったのね。
 
しょうがないので、第一部をまとめて十冊、借りてきた。図書館に通うごとに一冊読んでいく計画はどうした、と自分にツッコミを入れざるを得ない。かくて、最初から読み出したのだが。(ここから先はネタバレがあるので、これから読む人は、ここでやめてね。)
 
 
 
第二部は、主人公がローザンヌ国際バレエコンクールに挑戦して、数々の苦難を乗り越えつつ、成長を遂げる話なので、非常に明るく前向きに読めたのだが、第一部は、そうではなかった。非常にヘビーなテーマが詰め込まれていた。第二部では遺影になっている主人公の姉の千花ちゃんが、ここではまだ生きていて、才能あふれる素晴らしいダンサーの卵として将来を嘱望されている。主人公の六花ちゃんは、お姉ちゃんの後を必死で追う、少しできの悪い妹なのである。が、その千花を悲劇が襲う。また、六花の同級生の空美は素晴らしいバレエの才能の持ち主なのだが、顔が醜く、かつ児童虐待、児童ポルノの餌食となっていて、胸が傷まずにはいられない展開である。
 
正直言って、全巻借りてきていなければ、途中で読みやめたかもしれない。それくらい、重く辛い展開であった。これは、バレエの漫画でありながら、子どものいじめの問題や、子どもの苦悩に気づいてやれなかったり、子どもを食いものにするような大人の抱える闇がえぐられている作品なのである。
 
千花は、バレエの才能にあふれていたが、膝の故障でバレエを諦めなければならなくなる。それでも、バレエをやめて医者になる、という彼女の希望は否定される。もう一度バレエをやる、と彼女が言ったことが、何よりも嬉しい、と家族に受け止められるのだが、結果、彼女は投身自殺する。この下りは、本当に苦しい。バレエだけが全てである、と価値観が固定された家庭において、違う方向が否定され、かつ、ひとつしか許されない方向に希望が見いだせない状態で、千花は他にどんな選択ができたのか。怒りすら覚えてしまう。漫画なのに。
 
バレリーナの卵を指導する教師たちも色々なタイプが登場する。否定から入るタイプ、意地悪な言葉を投げつけて奮起させるタイプ、良いところだけをすくい上げて励ますタイプ。どれもが、それなりに意味を持ち、それぞれに子供を成長させていくのではあるが、否定から入ったり、意地悪を言ったりするのは、それがどんなに子供を伸ばす結果につながろうと、嫌だなあと思ってしまう。私は甘いのだろうけれど。
 
単行本一冊ごとに、山岸凉子はいろいろな人と対談をしている。魔夜峰央との対談で、魔夜峰央が実際にバレエの舞台に立って踊ったとあって、笑ってしまった。バンコランか。クックロビン音頭か。でも、ふたりともマジだったんだけどなあ。怖いもの見たさで、見てみたい。

2018/7/11