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「荒野の胃袋」井上荒野 潮出版社
井上荒野は井上光晴のお嬢さんで、などと紹介しなくても、もうこの人は直木賞をとった立派な作家なのだった。
おいしいものを食べたときには、すかさず「おいしい」と言うべきである。
というのが井上家の家訓だそうである。冷やし中華とか、焼き茄子の胡麻だれとか、なんでもない料理もあれば、フランスうどんとか、筍の「とん先」などという井上家独自の料理も載っている。どれを読んでも、食べることをとても大事にしてきた家庭に育った人なのだ、ということがしみじみと伝わってくる。
井上光晴は、外に何人もの女を作る人であった。荒野の母は、それをのみこみながら、美味しい料理を作ることで家庭を保った人であった。それは悲壮とか寂寥とかではなく、おいしく豊かなものでもあったのかもしれない、とふと思うほどに、温かい料理がこの本にはあふれている。
うっかり持ってしまった家庭の中でいつも途方に暮れていた父のことを、ロシアのコロッケを食べるたびに思い出す。
という一文からは、父への温かい眼差しを感じる。
料理って、食べるって、人を結びつける。
そう思える本だった。
引用はすべて「荒野の胃袋」井上荒野 より
2014/9/24