虫捕る子だけが生き残る

虫捕る子だけが生き残る

2021年7月24日

33

『「脳化社会」の子どもたちに未来はあるのか 虫捕る子だけが生き残る』

養老孟司 池田清彦 奥本大三郎 小学館101新書

 

先日、とある主婦サイトで読んだ。園児である子どもが虫を殺そうとしているのを「かわいそうだから殺しちゃダメでしょ」とたしなめたのに、保育士が教室内の虫をバシッと叩きつぶして「もう殺したから大丈夫よ~」と言った。虫を殺していいのか良くないのか、子どもが混乱するだろうに、どう教えたらいいんだろうという相談である。それに対して、害虫は殺していいと教えろだの、いずれ殺していい虫とそうじゃない虫の区別がつくようになるだの、様々なドバイスがついていたのだけれど。
 
いや、かわいそうだから殺しちゃダメでしょ、って、そうなのか?と私は思うのである。かく言う私は子ども時代にアリを踏み潰したこともあれば、モンシロチョウを捕まえて、ギュッと握ったら潰れたこともある。トンボを追いかけて捕まえて、気がついたら殺してたとか、カマキリを握り込んだら噛まれて叩き落として踏み潰したとか、セミを大量に捕獲して放置して死なせたこともある。今も昔も蚊はバチバチ叩き潰すし、Gが出れば、容赦なく新聞紙丸めてひっぱたく。虫の大量虐殺者、サワキなのである。
 
子どもが小さいときは蝉取りに付き合ったこともあるし、鈴虫を飼ったりもした。虫を捕まえて、手に持たせるとかもよくやった。かわいそうだから殺しちゃダメ、とは一度も言ったことがないなあ。
 
実際に虫を殺したことがある子どもであった私としては、さっきまで元気に生きていたものが、ひくひくして、ぐったりして、動かなくなる一部始終を見ているわけで、しかも手のひらでそれが起きるから、触感としても命が失われる経過がまざまざとわかる。そこから、命ってこうやって簡単に失われるんだ、とか、死ぬって、動かなくなって二度と元に戻らないんだ、とか、しかも死体はどんどん腐って汚くなっていくんだとか、ものすごくいろんなことを学んだのだと思う。ゲームで敵をじゃんじゃん殺して、自分も死んじゃっても、またすぐ復活できるようなバーチャル世界ではなく、実感できる現実としての死を、日々遊びの中で体感していたわけで、それは、決して無駄な体験ではなかったと思っている。
 
なんて考えていて、見つけたのがこの本である。著者の三人はいずれ劣らぬ虫屋で、虫大好きで生きてきた、解剖学者、構造主義生物学者、フランス文学者、各分野の大家揃いである。
 
「好きな虫、嫌いな虫は誰でもあるとしても、保護されるべき虫と、殺してもいい虫といった根拠なき差別がある」と池田氏は、まさしくこの園児母の疑問に対する回答的発言をしている。奥本氏は「それは、アメリカ人や日本人の命は大事だけれど、イラク兵は殺してもいいというのと同じことじゃないの?」という。そして、遠くから赤外線モニターでイラク兵を殺すゲーム感覚の戦争のあり方に言及している。養老氏は「近頃は、虫を殺さないから人間を殺しているんだよ。」という。奥本氏「やっぱり、ピクピクしている虫を持った時の、あの感覚が大事なんだと思う。生き物の感覚。その経験がまったくない人は、加減ができないんじゃないですか。」そして、虫取りは「精神を養う殺生」である、と三人で話すのである。虫を採ったり魚を釣っていると、「どうして人を殺しちゃいけないの?」という質問は出てこないだろう、と。
 
なんだかものすごく納得である。かわいそうだから殺しちゃダメ、なんていうよりも、自分の手で虫を捕まえて、殺しちゃった、という経験のほうが、数倍も様々なことを教えてくれる。
 
更に、池田氏はこんな指摘をする。「大体、平気でゴルフをやっているような人たちが、虫を捕るなって言ったって、まるで説得力がないよ。ゴルフ場を作れば、そりゃもう大殺戮ですよ。山があったところを切り拓いて、草原だったところに芝生を植えてね。たっぷりと除草剤を撒き続けるんですから。まったく、何を考えているのかね。」
 
子どもに虫を殺すのはかわいそうだと教える母親は、自分がゴルフをしても、それは関係がないことだと思うだろう。子供がその場で現実に虫を殺さなければいい。それは、毎日魚や肉を食べていても、教室で飼った豚を食べるのは残酷だということと同じだし、カエルを理科の授業で解剖させるのは残酷だというのと同じだ。そうやって表面上、お優しく穏やかに過ごすことこそが優しさであると思っている限り、物事の本質は見えてこない。
 
それにしても、虫の数は減った。私が子供の頃は、もっと周囲は虫に満ちていた。刺されたり、噛まれたり、痒かったり痛かったりもしたから、今のほうがいい部分もあるのかもしれないけれど、子どもが虫を平気で捕まえて、殺しちゃったりする環境は、あったほうがいいとつくづく思う。かわいそうだから殺すななんて私は孫にも言わないな。まあ、孫ができるかどうかは知らんが。

2018/6/29