三年ほど前に「ソ連兵へ差し出された女たち」という本を読んだことがある、この映画はそのドキュメンタリー映画版である。
戦争中に満州に移民した黒川開拓団(岐阜県送出)。国策により、次男三男は満州へ行け、家族で行け、と半ば強制的に送り出された600人ほどの人たち。開拓とは名ばかりで、実際は現地に住む人から家と土地を取り上げた入植であった。敗戦が色濃くなるころにはすでに関東軍は南へ疎開していったが、その情報は開拓団には知らされず、終戦の時に守ってくれるはずの関東軍は既に逃げ出していた。土地を奪われた現地の人たちに集団で襲撃され、周囲の開拓団が次々に集団自決していくなか、黒川開拓団はソ連軍に交渉し、女性を差し出す代わりに守ってもらうことになる。未婚の若い女性15人が、毎晩、ソ連軍将校に差し出され、相手をさせられた。ずらっと並べられた布団に引き倒され、次々に強姦される。彼女たちはお母さん、助けてとつぶやき、手を取り合い、ただただ我慢し、耐えていた。病気を貰い、五人の女性が死んだ。
だが、辛かったのは満州だけではない。日本に帰ってからのほうがずっとつらかったと女性たちは言う。みんなの命を助けるために犠牲になったのに、汚い、ロスケにやられた女だ、病気持ちだと言われ、嫁にも行かれん、恥だ、この村を出て行けと言われた。お前はアレが好きだったよな、などと卑猥な言葉を浴びせる幹部すらいた。
女性たちの犠牲は長い間、開拓団の秘密にされてきた。戦後長い期間を経て彼女たちの犠牲を悼むために乙女の像が建てられた時も、碑文は作られなかった。開拓団遺族会の反対にあって、何のための像の建立なのかをを明らかにしなかったのだ。
生き残った女性たちは、時々集まっては慰め合い、泣き合っていた。そして、本当のことを明らかにしようとした。当時まだ少女だった女性の二人がが90歳を超えて、人前で自分に起きた出来事を話したのだ。遺族会の四代目の会長は、生き残った人たちの聞き取り調査をして、碑文をつくり、事実を公表しようと考えた。彼らの努力の末に、調査が進み、事実が明らかにされ、碑文が作られ、そしてこの映画につながった。
犠牲になったことをずっと隠していた女性が一人、最初は顔を出すのも拒否していたが、ついに顔を出し、名乗り、被害を明らかにした。それまで笑うことのなかった彼女が、それ以降、笑顔を見せるようになったと孫たちがいう。「汚いと言われると思っとった。」と彼女は言った。孫が「おばあちゃん、生きて帰ってきてくれてありがとう。おばあちゃんが頑張ってくれたおかげで、今私たちは生きていて、子どもにも出会えた。おばあちゃん、前よりもっと好きだよ」というと、彼女は笑顔になり「尊敬してる」と言われて「恥ずかしい」と顔を隠した。
黒川は日本の縮図だ、と犠牲女性の息子の一人が言った。なぜこうなったのか、原因も責任も明らかにしない。恥だからと隠して、なかったことにする。そして表面的な平穏だけを保つ。過去の歴史を修正し、日本を悪く言うなと恥を全て押し隠したがる日本の政治家たち、歴史修正主義者たち。何が起きたのか、それはなぜだったのか、どうしたらそれを防げるのか。そこを追求することを怠り、現状の良いことだけを自慢する上面だけの政治。
男の人たちはなんであんなに意気地なしだったのか、と犠牲になった女性がいう。身体を張り、泣いて泣いて開拓団を守った女性を誹謗中傷し、追い出した男たち。その歴史を、私たちは隠してはいけない。真実を伝え続けなければいけない。
開拓団は、現地の人たちへの加害者であり、戦争が終わってからは被害者ともなった。戦争は人を分断し、踏みにじり、痛めつける。その中で弱者はさらに何重にも苦しめられる。この歴史は絶対に隠されてはいけない。皆で共有し、何が起きたのか、それはどうしてなのか、どうしたら同じことを繰り返さないで済むのかをしっかり考えなければいけない。
いつもガラガラに空いている、地方の小さな映画館でこれを見た。珍しく十数人の観客がいて、上映が終わったとき、拍手が沸いた。気が付いたら私も拍手をしていた。
