あんじゅう

あんじゅう

2021年7月24日

「あんじゅう 三島屋変調百物語事続」 宮部みゆき 中央公論新社

この日記を書くために、前編である「おそろし」の自分の日記(2009・4・14)を読み返しました。そうしたら、重くて厚くて、しばらく読むのをためらった、とあって、笑ってしまいました。
だって、今回も同じことを思って、ひと月ほど、書棚の上に置きっぱなしだったんですもの。
そして、読み始めたら、あっという間、というのも前回と同じでした。

いろいろなことを深く考え込んでしまったのも、また、同じ。
なんども読み返したいような文章が幾つも出てきましたが、一番印象に残ったのは、ここかもしれません。

ー昔、儂は人嫌いでな。偏屈で孤独を好み、ひたすら学問に打ち込もうとすることを、胸の奥で誇っておった。この世には愚か者ばかりが多い。儂は己の貴重な時を割き、愚か者が泳ぐ俗世という池に浸かる気はない、と。
とんでもない思い上がりであった。
「世間に交じり、良きにつけ悪しきにつけ人の情に触れていなくては、何の学問ぞ、何の知識ぞ。くろすけはそれを教えてくれた。人を恋いながら人のそばで生きることのできぬあの奇矯な命が、儂の傲慢を諌めてくれたのだよ」
だから加登新左衛門は、子どもたちに混じって暮らす晩年を選んだのだ。
人は変わる。いくつになっても変わることができる。

(「あんじゅう」宮部みゆき より引用)

私も、すっかり中年の頑固なおばさんになってしまいましたが、いくつになっても、人は変わることができる、と信じてこれからを生きていこうと思います。
そして、変わることを促してくれるのは、きっと子どもたちなのだ、と思ったりもします。

後半、木仏をめぐる里の物語は、9・11以降の世界を思い出すような強く深い思いが感じられて、うーんと唸ってしまいました。

この世の中は、偉くて難しいことを考える手の届かない人達が動かしているのではなく、日々の生活を大事に生きる一人ひとりの人たちが動かしている。あたりまえだけど、なかなかそうは思えないことを、しみじみとかみしめてしまうような本でした。

宮部みゆきは、えらい。

2010/10/25