67 西加奈子 新潮文庫
西加奈子はいいぞ、と気が付くのが遅かったので、今頃になって2010年の小説を読んでいる。14年前の西加奈子は、今より少し不安定で自信なさげにも見えるが、みずみずしい。
この本は、東北温泉旅のお供に連れて行った、薄い文庫。作者名と本の厚みだけで選んだのだが、なんと温泉旅行の話であった。二組のカップルがバスに乗って行くひなびた温泉宿。それぞれに鬱屈や欠落を抱え、それを人に知られないように生きている。温泉宿の従業員も似たような人たち。そして、事件が起きる。
これから温泉だぞー、と思ってたら、移動の車中でわりに暗い温泉話を読んでしまって、若干テンションが下がる。とはいえ、温泉は良かった。その話はまたそのうち。で、この本だが、芥川の「羅生門」ばりに、同じ出来事を四人の人物の視点で何度も描き直す。それぞれの立ち位置によって同じ出来事が違う形で立ち上がってくる。
こう思われているのではないか、これがバレているのではないか、などとびくびくしているくらいなら、何でも正直にすっぱり話しちゃって、なーんだ、そういうことだったのか!であっさり終わっちゃえばいいのに。でも、それができないのよね、人間って。とりわけ若い頃って。自分の価値を知らない、信じられない時代は、本当のことを言うハードルがやけに高い。価値というか…まあ、私なんてこんなもんよね、という開き直りかもしれないが、そこらへんが分かってきて、自分を丸ごと受け入れられると何でも案外楽になるんだがな。
この物語は、自分をひた隠し、相手にバレるのではないかと怯えながら、でも、相手と関わりたいという欲求だけはある時代の人たちの姿だと思う。そんな場所にはもう戻らないし戻れないのだろうなあ、私は。
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