タモリ伝

タモリ伝

2021年7月24日

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タモリ伝 森田一義も知らない「何者にもなりたくなかった男」タモリの実像
片田直久 コアマガジン

「タモリ論」、「タモリと戦後ニッポン」と読んできて、またタモリ関連本である。これも面白い。というより、タモリが面白いのだろうな、と思う。

この本は、タモリとラジオの関わりを丁寧に追っている。その姿勢は理解できる。タモリのラジオは特別だ。そして、ラジオで学んだことが、いいとも!に集約されている、と私も感じている。

タモリの才気について話すたびに作者の脳裏に浮かぶのが「セレンディピティ」という言葉である。「洞察力」と訳されることが多いが、「何かを探そうとしているときに、他に価値あるものを見つけ出す能力」という意味を持つそうだ。

複数の関係者が口をそろえる。タモリには「話したいことがたくさんあった」のだ、と。普段の生活の中でふと気付いたこと、友達と言葉をかわすうちに訪れたひらめき、本のページを繰る折に引っかかった疑問ーー。人一倍豊富な知識量と旺盛な好奇心、鋭敏な記憶力も相まって、そうした材料は少しずつタモリの中に沈殿していく。

タモリのラジオで、私が印象深く覚えているのは、「長崎の女の子」の話である。仕事で長崎に行ったタモリのホテルの部屋に、ファンの女の子が押しかけてきてどうしても帰らない。困ったタモリはマネージャーの助けを借りて、なんとか説得して帰らせる。それだけの話で終わるはずだった。ところが、彼女が帰ったあと、タモリはふと、その女の子の真似をして、マネージャーの部屋のドアをノックする。ドアを開けると、思いつめた顔で「抱いてください」という。馬鹿なことはやめてください、とマネージャーは怒る。いや、ごめん、とタモリは部屋に帰る。数分後、ドアがノックされる。ドアを開けるとマネージャーが思いつめた顔をして、「抱いてください」という。怒ってドアを閉めるタモリ。だが、我慢しきれず、数分後、彼はマネージャーのドアを叩く。「抱いてください。」そして、今度はマネージャーがドアを叩く・・・。かくて、二人は夜を徹して互いにドアを叩き、「抱いてください」と言い合って過ごしてしまった、という。それだけの話だ。いい大人が何をやっているのだ、と思うところだろうが、このできごとがタモリの口を通って語られると、涙を流して笑い転げずにはいられない話になる。「抱いてください。」というタモリの口調を、私は今でもまざまざと思い出す。そして、今ですら、ちょっと笑ってしまうのだ。

タモリは、あらゆるものの真似をする。その物事の本質を少しずらし、そっくりでありながら全く別のものへと変化させる。うっかりすると本物と間違えてしまう、その僅かなずれに、人は笑いを見つける。彼の語るエピソードも同じである。なんでもないちょっとした出来事や、単なる悪ふざけが、彼を通ると不思議な色あいを帯び、笑わずにはいられないエピソードとなる。シモネタも多かったが、ギリギリのところで決して下品にならないのが彼の凄さだった。見たもの、感じたことを、彼はそのように語ることを楽しんでいた、と私は思う。あふれるように語り続ける彼のラジオが、私は本当に好きだった。

いいとも!はそうしたタモリのラジオ体験がテレビへと移されていった結果だったという作者の分析は結構鋭いと私も思う。力まない、人に任せる、時として雑談をしたり、ちょっとした能力を垣間見せる、そして引きずらない。だからこそ、あれだけの長い期間を続けられたのだろう。

(引用は「タモリ論」片田直久 より)

2015/12/7