タモリと戦後ニッポン

タモリと戦後ニッポン

2021年7月24日

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「タモリと戦後ニッポン」近藤正高 講談社現代新書

タモリが好きである。デビュー直後から、結構好きであった。眠い目をこすりながら、オールナイトニッポンを聞いていた世代である。

「タモリ論」は以前に読んだ。その時に、誰もその全貌など描き切ることが出来ない、と感想を書いた。もちろん、この本も全貌を描き切ることなどできてはいない。だが、かなり出来がいい本である、と思う。膨大な資料に当たり、とても丁寧に書かれている。戦後史と絡めながら、タモリという人物を綿密に追っている。今まで知らなかったことが、たくさん出てきて、わかったこともたくさんある。

タモリが大学を中退してから東京に出てくるまで、とテレビに出始めてから、イメージが変化していったあたりが私の謎として残っていた。大学を中退したのはなぜだったのか、その後幾つかの職を変転した間、彼はどんな心情であったのか。それが一つの疑問であった。何らかの敗北感、挫折感の中で過ごした日々だったのか?という私の想像は違った。その期間、彼は実に有能にいきいきと働き、しかも十分に認められ、将来を嘱望される社会人でもあったようだ。そんな中で、三十歳になった時に、彼は一度すべてをリセットする。そして、やっぱりお笑いでやっていこう、と心を決めるのである。

偶然に支配されて芸能界入りしたようなイメージであったが、実は彼なりの決意があり、計算があった。というのはあらたなる発見であった。山下洋輔との出会い、赤塚不二夫という最大の理解者保護者との出会いは幸運ではあったが、それがなくとも、彼はいずれ東京にやってきたのであり、芸能界でも力を発揮していったのだろう。

もうひとつは、不気味な、怪しげな男というイメージから知性のある博学で器用なタレントに変貌していった背景である。そこには田辺エージェンシーの戦略があり、タモリ自身も大いに計算なり策略を持ってあり方を変化させた・・というよりは、本来の自分を見せるようになっていったのであった。帯で主婦向けのラジオ番組を一年間担当しただけで、彼を忌み嫌っていた主婦層からすっかり支持を得てしまった変遷は、大いに納得できる。主婦ではなかったけれど、私もそのラジオを聞いていた。そして、深夜放送とは全く違った彼のリスナーあしらいの凄さに感心していたものだ。

タモリは、人気がでても、名声を得ても、有頂天にはならない。自分の番組を見返すこともほぼないという。反省をしない、やる気を出さない。彼は、とても高いところから自分を見据えて、その才能も十分にわかっていて、冷静に先々を見通している。最初からそういう人だったのだな、と思う。そこが彼の凄みである。

タモリという人物をかなりの部分で解明しているこの本であるが、彼が極めてとんがっていた時代の、おそらくタモリ自身も今となってはあまり思い出したくないかもしれない、強い毒を吐いていたあの時代を、もう少し追求して欲しかったとも思う。

私が気になっているのは、例えば所ジョージとの関係性である。タモリは、所ジョージの結婚の際の仲人である。所ジョージは、一時期、タモリの運転手のような役割も務めていたはずである。だが、ある時からタモリと所ジョージは一切、共演をしなくなる「いいとも!」の最終回に向けて、所ジョージがテレフォンショッキングにでたことはあったように思うが、割によそよそしい会話で終わったような記憶がある。そして、所ジョージは、タモリを嫌っている・・・ように見えてならない。

アルコールを飲まない彼を使いっ走りのように毎晩酒場に呼び出して、あのおじさんたちだけが楽しんでいたんだ、というようなことを所ジョージが口走っていたのも聞いたことがある、ような気がする。ちょうど、タモリが小田和正やさだまさしや名古屋を批判し続けていたあの頃のことである。

名古屋やさだ、小田批判については、本書も分析を行っている。タモリの家庭は、満州で培われた大陸的な伸びやかさがあった。そして、日本独自の狭さ、頑なさへの拒絶がこういった批判につながったという分析である。なるほどと思う説明ではある。が、おそらくその頃に、所ジョージは何らかの扱いをタモリから受けていたのではないか、と私は邪推する。それは、タモリにとってはなんでもないことであっても、所ジョージにとっては耐え難いものがあったのではないかと。だが、それを経て、所ジョージは大成したし、タモリは人格的に丸くなり、深くなっていった。その辺の経緯を、私は知りたいと思うのである。

2015/12/1