ヤブノナカ

ヤブノナカ

154 金原ひとみ 文芸春秋

強烈だから元気な時に読んだほうがいいと友人に言われた本。確かに強烈であった。時々休憩を入れながらでないと読み通せなかった。

金原ひとみは初めましてである。実際には「私の身体を生きる」で短いエッセイなら読んだのだが。あの本も同じようなテーマであった。女性の身体、性、セックスハラスメント、性的虐待、マンスプレイニングなどなどの問題。そういえば井上荒野の「生皮」も同じテーマであった。描かれた状況もかなり似通っている。すなわち、作家志望の女性と文芸誌編集者、あるいは男性作家の関係性。原稿を見る、推敲、掲載してやることの引き換えに起きる支配、抑圧、性的虐待‥‥。その場では互いに納得しあっていたかのように思えたものが、時や空間を経て被害者を苦しめ、告発に至る。だが、加害者には加害意識すらない。

しかも、そこでこの作品はとどまらない。いくつかの関連した事態が入れ代わり立ち代わり十人の登場人物それぞれの視点から描き出される。同じ出来事、同じ時間、空間を過ごしていてもなお、まったく違う受け取り方がなされ、違った認識が残る。そして、それぞれがそれぞれに傷つき、悩み、苦しむ。誰が悪く誰が正しいかなどという判断をはるかに超えて、それぞれの人生が交錯する。

人間ってむちゃくちゃだよな、とつくづく思う。性的虐待を許せないと思い、それを強く糾弾し、被害者を助けようと正義に奮い立つ女性が、それをどこまでも推し進めることで人を苦しめる。苦しむ人を見捨てるような人間にだけはなるなと我が子に強く諭すことで我が子を追い詰める。道で見かけた性的加害者を赦せずに殴り、暴力沙汰となる。作家志望の若い女性の原稿に手を入れ、新人賞に無理矢理ねじ込もうとする編集者はそれと引き換えに彼女を性的に搾取し、それが恋愛であったと考える。作品に勝手に手を入れることは必要な措置であり、それが作者を貶め、本人を傷つけるものであるとは気づかない。妻を家庭内レイプする夫は、それによって夫婦関係がよりよくなったと思い込み、不倫に走る妻を絶対に許さない。そんな彼らは決して珍しい人たちではない。世の中のどこにでもいそうな人たちだ。私の中にも、これらの人たちの様々な要素が確かにあるとどこかで思わずにはいられない。

みんな自分を必死に生きている。それしかないと考えながら、周囲を傷つけ、自分を損ない、時代に置いていかれる。何が正しく何が正しくないかも、時代の流れがそれをどんどん変化させていく。吉行淳之介も渡辺淳一も、今思えば大変なセクハラオヤジであった。今同じことをしたらどれだけ炎上したかわからないような作品を書いていた。それが「文学」であった。

似たような作品が同時多発的にたくさん出てきたと思う。今、東京新聞で西加奈子が連載している小説も似たようなテーマだ。そうじゃなくても、例えば、ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」ですら、少し前までは絶対に取り上げられるはずがないような内容であった。女性が自分の身体を自分のものとして、仕事も育児も含めて自立しつつ伴侶と生きていく困難とそれを乗り越える力。そういったことを、私が若い頃は、誰も真正面から書かなかった。今は、誰でもそれを真正面から考えて書いている。書ける時代になったのだ。

ところで、私はこの「ヤブノナカ」を読みながら有吉佐和子を何度も思い出した。頭脳明晰、打てば響くような言葉を紡ぎ、自らの正義感を隠さず、時として暴走する。この本に登場する長岡友梨奈は有吉佐和子に似ている。最後まで似ている。彼女が生きていたら、今の時代をどのように捉えただろう、と今も私は思う。生きていてほしかった。