上を向いてアルコール

上を向いてアルコール

2021年7月24日

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「上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白」

小田嶋隆  ミシマ社

先に言っておくと、私は酒好きである。若い頃と比べると酒量は非常に減ったが、酒なしの人生はつまらん、と思っている。でも、だからこそ、適度に飲む、溺れない、はものすごく大事なことだと思っている。一生気持ちよく酒を飲みたいからこそ適量を守るべきだと考え「少量を楽しむ」を原則としている。

アルコール依存症になってしまったら、「適度に飲む」は不可能である。一生断酒するか、飲んで人格崩壊を受け入れるか、どちらかしか無い。そこに行き着いてからでは遅いのである。

小田嶋隆は元アル中である。「底をつく」体験を経て、断酒して久しい。アルコール依存症は完治が難しい病気で、専門医によれば、八~九割は治らない。でも、「あなたはインテリらしいから、治るかもしれないし、診てあげる」と作者は主治医に言われたそうだ。そして実際、二十年間断酒に成功している。

通常、アル中患者は言い訳と否認で自分をガチガチに固めにかかるが、インテリだと看破されただけあって、作者はそれを上から全部、透かして見てしまう。それによって依存症の滑稽さが浮かび上がってくる。

日本人は酒を呑むことを美化したがる傾向があって、アル中者の転落と死を美しく描写したがる、と作者は指摘する。太宰治は心がきれいすぎるから傷つきやすい、とか赤塚不二夫は生涯を楽しく飲んで豪快に駆け抜けた幸福な人だったとかね。でも太宰治が傷つきやすかったのは、心が汚かったからだけだし、赤塚不二夫の業績を分析すれば、評価の高い作品は三十代までで、その後は昔の余録で生きていた、酒で筆は荒れまくっていた、という。それは正しいと私も思う。中島らもの才能がすごかったのも、酒に溺れまくる以前までで、その後は荒れに荒れた。酒が芸術を高めるなんてことはない、と思う。

酒で現実逃避するとか、そんな事できない、と作者はさらに指摘する。ストレス解消だってできないし、良い作品を生み出すことだってできない。それは全部言い訳に過ぎない、と。アル中本人が言うのだから説得力があるよなあ、と思う。きっとそれは、正しい。

そんなわけで断酒した作者だが、一回だけビールを飲んだことがあるという。長く付き合いのあった編集者が、なぜ酒を飲まない、俺と会うのに酒を飲まないのは失礼だ、とまで言ったのだそうだ。嫌だなあ、このエピソード。よくいるんだよね、程々に飲めばいいじゃない、とか言って誘う人。アル中になったら、もう程々ってのはありえなくて、一切飲まないしか無い、という事を知らない人が多すぎる。日本の潜在的アル中患者はものすごい数だと言われるしね。みんな、もっと学べよ。

家族の酒で困っている人や、自分が飲みすぎかなあ、まあ、でもこれくらいなら大丈夫かな、なんて思っている人は、一度この本を読んでみるといい。いろんなことが見えてくる。

アル中になりたくないから、私はこれからも、程々に、適正に、お酒と付き合っていく。一生断酒はきついからね。それくらいなら、「もっと飲みたいなあ、でもやめとくか」を守りたい。好きだからこそ、ほんの少しだけ。それが、正しい酒との付き合い方である。

2018/12/19