共依存

共依存

121 信田さよ子 朝日文庫

旅行用に適当に文庫を買い集めたら、なんと既読本が何冊かあったという失態。最近、多いんだよなー。単行本で読んだ本が文庫化されているのが一番危ない。これも、そのパターンだわ。前に読んだのは「共依存・からめとる愛」という題名だった。この文庫は副題が「苦しいけれど、離れられない」になっている。確かに副題としてはこのほうがいいかも。しかし、読んだら結構、新鮮に読めてしまったので、文句も言えないか。

前に読んだときの感想を読み返して、なるほど、同じような感想を持つもんだな、と自分のことなのに思った(笑)。当たり前なんだけどね。あとがきを読むと

本書のメッセージのひとつは「依存は悪ではない。鍵を握るのは依存させる人だ」にある。依存は対象になる人がいて初めて成立するからだ。 (引用は「共依存」信田さよ子 より)

とある。例えばアルコール依存症の夫に尽くしてしまう妻を加害者ととらえる見方があるけれど、妻に加害者としての罪を着せることで、彼女の逃げ場はどこにもなくなる。いや、実際にはヨレヨレの夫を打ち捨てて逃げだして見放すという選択肢はあるのだが、それをするにはどれだけの決意とエネルギーと経済的基盤が必要か。ヤングケアラーとして自分の人生をすべて親に吸い取られている子が、親から離れないのは共依存だから、さっさと見捨てて家を出なさい、自分の人生を生きなさいと言われたとしても、簡単にできるわけがない。それが生きるということのすべてであったのだから。だから、共依存という言葉に罪や悪を見出しては一歩も動けなくなる。それを忘れてはいけないのだなあ。

互いに依存しあって動けなくなっていることに気づいたら、自分たちの状況を俯瞰し、理解し、分析し、ここからどうやって抜け出すかを、向き合って、自分の頭で考えなければならない。依存先を増やしたり、負担を減らしたり、もちろん逃げ出したりという選択は、誰かに与えられるだけではできないものだ。自立とはたくさんの依存先を持つことだという言葉もある。一人で生きていることだけが正しいわけでもない。単純な解決はどこにもない。ただ、状況を見据え、問題と向き合う決意と勇気、そして判断する力はとても大切だ。

前に読んだときよりは、少し離れた立場で読めたような気がする。それは、子どもたちが独立し、私が子育てという場から少し離れたという事実にもよるものかもしれない。