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「群像 2019年4月号」より 講談社
追悼 橋本治
「自分という反ー根拠」 保坂和志
「言えなかったこと」 藤野千夜
「おーい、橋本」 船曳建夫
新聞の「折々のことば」欄で「おーい、橋本」の一節を読んで全文が読みたくなり、図書館で調べた。「群像」に橋本治への追悼文が3つ載っていて、どれも胸に深く染み入った。
保坂和志は「橋本治ひとりで、橋本治というジャンルだったのだ」と指摘している。純文学、中間小説、歌舞伎評論、編み物作家、イラストレーター、そういったものを全部ひっくるめて「橋本治」だった、と。
橋本治は何かを語る、訴える、そうするときに、自分以外に根拠を持たない、というすごいやり方を実行した。
自分を語るのではない、そこをカン違いしたらダメだ。橋本治は客観的に妥当なものを根拠とせず、自分なんていう全く客観的でなく妥当性がないものを根拠にして、言い分を強引に押し通してみせた。
人が何かを言うということはそういうことなんだと、誰にでも拠り所になりそうなものを拠り所にしてはいけないんだと、拠り所こそ自分で考え、自分のパフォーマンスで拠り所たらしめと、私は橋本治から教わった。
(引用は「自分という反ー根拠保坂和志 より)
藤野千夜は、橋本治の長年のファンであった。「草薙の剣」野間文芸賞の贈呈式にお邪魔すればお会いできるかも、と繰り返し読んだ四十年前の「桃尻娘」をバッグに入れて準備しながらも、結局会場に行かなかった。体調不良のため、橋本氏が贈呈式を欠席したのを知ったのは後のことであり、程なく彼は死んだ。
黄色いハードカバーの「桃尻娘」を手に、まばゆい贈呈式会場にかけつけ、私は第一にこう伝えたかった。
大好きです。感謝しています。ありがとうございます。
(引用は「言えなかったこと」藤野千夜 より)
船曳建夫は、駒場で歌舞伎研究会を橋本治と一緒にやっていた。会員は三人で後に二人になったという。本人曰く橋本治は船曳に惚れていたという。惚れた弱みに付け込んで横にいる天才に気づかなかった、と書いている。
私見を述べると橋本治の日本語文章による功績は、「日本文芸」に対するよりももっと広く、日本語自体に対してだったと思う。
彼が死んで悲しくはないが、もう橋本治の本が送られてこないのだと思うと、これからの時間は寂しい。今だったら、どんな愛の技法を採択するかは話し合うとして、橋本の愛を受け止めることは出来ると思える。あと、追悼文とは、亡くなった人に読んで貰いたくて書くのだということにいま気付いた。
(引用は「おーい、橋本」船曳建夫 より)
橋本治が亡くなったのは、本当に悲しい。彼が書くはずだった言葉が散り散りになって、どこかへ消えていってしまったかと思うと、それを探して走り回りたい気持ちになる。
2019/4/15