157 内田樹 大和書房
「図書館には人がいないほうがいい」以来の内田樹である。三十代入りたての編集者からの質問を受けてそれに答えるという形式をとっている。だから若者向けの本なのだが、まさしく今、老いに直面しているわたし自身にも実に興味深い内容である。
今の私は、自分の年齢になかなかなじむことが出来ず、ようやく慣れた頃にはまた一つ年を取っているのでいつまでも追いつけない状態だ。だから
僕だって、ちょっと前まで19歳くらいのつもりでいたんです。だって、中身がその頃とあまり変わってないんですから‥‥‥。中身は19歳のままで「がわ」だけがどんどん加齢していって、気が付けば古希を過ぎ。人間てそんなものなんです。(「老いのレッスン」内田樹より引用)
という記述に大きくうなずいでしまう。私も「この間、高校卒業したばかりなのに!」などとほざいては周囲を呆れさせている。それでも「老い」は変化をもたらす。人がトラブルに巻き込まれるのは「いなくてもいい時」に「いなくてもいい場所」にいて「しなくてもいいこと」するからだと柳生宗矩(徳川家の兵法指南役)は説いている。若いころ19歳の内田樹はそんなことばかりしていたというし、私もすごく覚えがある。そういったいらぬトラブルをいくつも経て、ようやくあまり余計なことをしない人間になった。それが老いというものでもある。だから、今から19歳に戻してやると言われてもごめんだ。内田氏もそう言っているし、私も完全同意する。そういう意味では老いたことを苦痛だとは思わない。
内田氏は、人は生物学的に死ぬ13年前くらいからじわじわと「死に始め」、十三回忌あたりで「死に切る」とも言っている。つまり、26年くらいかけてゆっくり死ぬ。確かにそうかもしれない。今年の始め私は母を亡くした。それまで毎月実家に帰っては泊りがけで世話をしていたのだが、行くたびに彼女は死に始めていると感じたし、それをどのようにまっとうさせられるのかと考えあぐねてもいた。そして今、今度は自分自身がどうやら死に始めているぞ、と感じている。伴侶と自分、両方の死に始めをどのように最後まで完走するのか。それが大きな課題となりつつある。
とりあえず「死を迎える」ために準備することがあるとしたら、それはできるだけ早くから「死に始め」て一期一会の経験を味わい尽くすこと、そして周囲にできるだけ親切にしておくことだ、と彼は言っている。人に親切にしておけば、生き残った人たちに「あの人が今も生きて居たらなあ」と思ってもらえるし、記憶に残るから「死に切る」までの時間が長くかかる。そうやって死と折り合うことができる。まあ、死んでしまえばあとのことはわからないのだろうけれど、でも、自分を忘れないでくれる人がいるという想像は死を穏やかなものにすると思うし、そもそも人に親切にするということは本当に良いものだ。相手にとっても、自分にとっても。そんな当たり前のことをしみじみ理解できるのも、老いの効用であるかもしれないと思う。
かつて彼の退官最終講義を聞きに行ったとき、武闘家でもあり、決して穏やかでもなくむしろ喧嘩っ早い性格の自分が諍いによる傷害事件も起こさず、犯罪の加害者もならず、減給、謹慎、懲戒免職という道をたどることもなく平穏無事に退官できてよかったと語られていて、結構あっけにとられたものだった。内田先生、そんな激しい人だったのね、と。でも、この本を読むととても穏やかになられた。内面は変わらず燃えたぎるものはおありだろうが。そういう老い方は良いものだ。私も上手に老いを歩いけたらいい。できるだろうか。
