近親性交 語られざる家族の闇

近親性交 語られざる家族の闇

10 阿部恭子 小学館新書

信田さよ子と上間陽子の共著「言葉を失ったあとで」や上間陽子「裸足で逃げる」を読んで、家庭内の性的虐待が、想像よりはるかに多いらしいということを知った。父親、祖父、兄弟などによる身体的接触やレイプなどが日常的に行われ、母親や祖母などがたとえそれに気づいていても見ないふり、気づかないふりをするケースが多いこと、そんな中でそれが当たり前であると思い込まされて、被害者自身も受け入れてしまっている場合が数多くみられることなど。衝撃的であった。

著者は犯罪加害者家族を対象とした支援団体の設立者である。ここで描かれているのは、加害者家族とのかかわりの中で露呈した事実であり、これまで明るみに出ることはなかった家族の闇であるという。実際、家族内での性的虐待など、世の中ではないことにされている。そんな出来事は、できの悪いポルノや扇情的なAVなどに興味本位な視点でしか登場しない。だが、家庭とはブラックボックスである。周囲の人に全く知られずに様々なことが起き、隠され続けることがある。

家庭内の性的虐待は、家族への強い支配欲や、こだわり、社会への強い劣等感や不全感、兄弟間格差への不満が元となる。家族が外部で問題を起こさないために家庭内で処理するという理由付けなどもされる。そこにあるのは、支配と抑圧と怒りと憎しみであって、愛であることはほとんど見当たらない。そして、その出来事は世間体という大きなものに対してどこまでも隠され続け、めったに表に出ない。おそらく私たちが思うよりも世の中にははるかに多くこのような出来事は起こっていると思われる。

犯罪者の家族は、日本においては共同責任者として扱われる。同情ではなく非難の対象である。この本に登場する性的虐待の被害者たちも、犯罪者の家族であり、共同責任者であり「私も悪かったのだと思います」という言葉が出る。子どもがいくつになっても親としての責任を問われる日本では親の責任のプレッシャーは常に強く、その反面、家族内での傍若無人なふるまいは隠されるし、大目に見られることが大半である。日本の殺人事件の四割は家族間殺人である。この割合は世界的に見るとかなり高い。

日本は性教育も貧困だ。性は本来、人格と密接に結びつく尊厳にかかわるものである。「私の身体は私のものである」と理解することこそが本来の性教育の在り方だ。だが、性は秘め事であり、隠すべきことであり、せいぜいが避妊の仕方を教え、望まない妊娠を防ぐ、程度のことしか教育されない。それは大きな問題だ。

実際、本書でも、医学部に通う青年が母親との性交を当然のように繰り返し、誰も口に出さないだけで母親に習いながら覚えていくものだと本気で思い込んでいたケースが報告されている。建前と本音が違うこの国では、決して口に出さない家庭の秘密など、当然に存在するものだと思い込んでいる人たちが大勢いる。

読み終えて暗澹たる思いになった。が、これは知るべき事実である。周囲に気づかれずに性的虐待の被害を受けている子どもがもしいるとしたら、気づいて助けてやれるのは家族以外の人間である。あるいは、大人になってもなお、それはおかしなことである、やってはいけないことであると誰かが気付いて教えないと、いつまでも続くかもしれないことでもある。世の中がもっとそのことに気づかねばならない。難しい話ではあるが。それにしても、もっとまっとうな性教育が公的に行われていれば、こんなことは起きにくいのではないか…と私は思う。