野の花診療所まえ

2021年7月24日

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      「野の花診療所まえ」 徳永進  講談社

「詩と死をむすぶもの」「野の道往診」「野の花ホスピスだより」などで、すっかり徳永先生のファンになってしまった。ファンなどという軽々しい言い方でも、許されるのではないか、と思えるような明るさ、軽薄ではない爽やかな軽さがこの先生には満ちている。これは、医師の究極のあり方ではないか、などと考えていたら、たまたま付けたテレビに徳永先生が映っていた。なんという素晴らしい偶然。

「爆笑問題のニッポンの教養」という番組。爆笑問題の二人が、野の花診療所を訪れて、ホスピスで患者さんと触れ合ったり、末期がんの患者さんの往診に付き添ったりする。爆笑問題の太田は、自分の父が、死に向かっている話を訥々としたりする。

徳永先生は、本当に明るく、なんでもないことのように、死を語る。末期がんの患者さんに、「あとどれくらい生きたいですか?」などと、当たり前のように、問いかける。「行けるところまで、がんばりましょうね。」と。悲壮でもなければ同情に満ちたものでもなく、まるで明日どこに行こうかと訪ねているかのような、明るい話題のように。それが、彼には、できる。その現場の映像に、私は胸打たれる。徳永先生は、その患者さんが、毎日漁に出ていた海の風景を見に行く。そして、患者さんの人生を敬意を持って受け止め、知ろうとするのだ。彼の診療は、そこから始まる。

この本の中に、「ニコッ論」という章がある。ふざけるな!という人もいるかも知れない。けれど、私には、深遠な真理、究極の医療と愛のあり方のように感じられる一章である。

 いつでもニコッとしていたい、と思う。どんな場面に出くわしても、である。それは、憧れでさえある。(中略)
死を前にすると、人はニコッを忘れる。忘れるというより、ニコッは引き潮のように人の顔から去っていく。(中略)
死の前のニコッを、ぼくは取り戻せたらなあ、と思っている。ぼくだけでなく、町内会の人、鳥取市民、日本人のみんなが取り戻せたらなあと思っている。
「あの~、がんでしてね」とぼくはニコッとした顔で患者さんに言いたい。「死ぬんですか?」と尋ねられたら、ニコッとして頷きたい。「でもすぐじゃないですよ。時間はありますよ」とニコッとして言いたい。
「どっか旅に出かけていいですか?」と問われたら、ニコニコっとして「もちろんですよ」と絶賛したい。「さよならパーティをしますので」と患者さんから申し出があったら、喜んで参加し、ニコッニコッニコッとして乾杯をしたい。(中略)
心理学の本を読んでいたら、生後三~四ヵ月のころには、どんな人を見ても、どんな人に抱かれてもニコニコする、そういう時期があるのだそうだ。その時期のことを「無差別微笑期」と呼ぶとあった。思わず線を引いた。「無差別微笑期」かあ。いい言葉だなあ。(中略)
いま僕は自分に問うてみる。「お前はもう一度、無差別微笑期を、自分の中に取り戻せるか。死や悲惨や困難を前に」

(引用は「野の花診療所まえ」より)

「患者さんは、みんな、立派に死んでいかれました。だから、私も、呼ばれたら、はい、ああそうですか、と自然にそちらに歩いて行きたい。」
と、徳永先生はテレビで語っていらした。亡くなった方々への、まっすぐな尊敬が、静かに感じられて、私は、こんな医師に出会いたい、と心から思った。

ここから先は、全くの余談だが。
この本のカバー裏表紙に、徳永先生が、患者さんの診察をしている写真が載っている。口を大きく開けるように促すため、ご自分が口をあーんと開けていらっしゃる。その横顔が、なくなった夫の父にとても良く似ているのに、私は驚いた。偶然なのかもしれない。けれど、辿り辿って行ったら、どこかで、義父と徳永先生の遺伝子が交わう巡り合わせがあったのかもしれない。そう思ったら、楽しくなった。私が徳永先生を好きなのは、どこかで夫と同じDNAがあるからなのかもしれない。

2011/5/30