金子文子

2021年7月24日

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金子文子 わたしはわたし自身を生きるー手記・調書・歌・年譜」

鈴木裕子 梨の木舎

皆様、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

年末に息子が、年始に娘がバラバラに帰省し、なんで時期を合わせないのか、みんなで花札ができないじゃないかと文句を言いつつ、それなりににぎやかな年末年始となりました。が、そこでライスボウルに行った娘から風邪をもらってしまったらしく、動きが取れなくなってしまいました。熱はないんだが、気管支と喉の痛み、倦怠感がひどく、いつまでも治らない。歳を取るっていやねえ・・と年明け早々からぼやいておりました。まだ、体調は完璧ではありませんが、年末から取り組んでいた分厚い一冊をなんとか読み終えたので、記録だけはしておこうと思います。

この本は、まず「女たちのテロル」で、次に「思い出袋」で取り上げられていた金子文子という女性について残されたあらゆる記録を集めたものである。自伝的手記に、逮捕後の尋問調書、公判準備調書、減刑のためと思われる精神鑑別書を拒絶する調書、公判出廷拒否状、書簡、獄中で詠んだ歌集などが収められている。大逆事件のどさくさで、そもそもが無実の彼女が捕らえられ、死刑判決後に恩赦で減刑され、転向を求められて拒絶し、獄中縊死するまでの道筋である。

80年以上前に23歳という若さで亡くなった彼女である。その幼少時代の想像を絶する苦難、自立して学校に通いながら強い意志を築き上げた過程が、手記には明快で強い文章で書かれている。無籍者として、私生児以下の扱いを受け、両親にも親戚にも冷たくあしらわれ、貶められ、食べるものもろくに与えられず、小学校にすら席をもらえなかったところから、一人で東京に出て働きながら学校に通い、主教や思想と出会いながら自分を確立していった23年間。ひどい状況にありながら、こんなにも聡明で鋭い文章を書いたのか、と絶句するほどである。

私はかねて人間の平等ということを深く考えております。人間は人間として平等であらねばなりませぬ。そこには馬鹿もなければ、利口もない。強者もなければ、弱者もない。地上における自然的存在たる人間の価値からいえば、全ての人間は完全に平等であり、したがってすべての人間は人間であるという、ただ一つの資格によって人間としての生活の権利を完全に、かつ平等に享受すべき筈のものであると信じております。

          (引用は「金子文子わたしはわたし自身を生きる」より)

朝鮮に住む祖母のもとで下女同然にこき使われ、思い通りに動かなかったが故に食べ物も与えられず、死のうかと思っていた矢先に、近所の貧しい朝鮮人がそっとご飯を差し出してくれた、その経験から、彼女はこの考えに到達する。難しい思想書や学問に出会うこともなく、ただ、自分の経験から、こうした考えが生み出されたのである。

獄中で縊死したこととなってはいるが、いまだその真相は闇の中であり、転向を拒否したための拷問死である可能性も否めない。誰からも忘れられて若くしてひっそり死んでいった金子文子という女性がどんな人だったかを、亡くなって八十年以上経ってから、私が知る。そんな女性がいたのだということが、私の中に一つの灯火を与える。

脚光を浴びる生き方が素晴らしいのではない。自分の意志を持ち、自分を貫いた人生は、誰が認めようが認めまいが、忘れられようが、打ち捨てられようが、それ自体が美しい、とつくづく思う。

2020/1/8