青ノ果テ 花巻農芸高校地学部の夏

青ノ果テ 花巻農芸高校地学部の夏

2025年7月15日

95 伊予原 新 新潮文庫

「宙わたる教室」の伊予原新である。

「銀河の図書室」のおかげで「銀河鉄道の夜」を読み直した。大人になって読み返す宮沢賢治は、また違った色合いに読めて、すとんと胸におちるものがあった。それから猛然と行きたくなって、先月、花巻を旅してきた。大学生のころに一度行ったことがあるのだが、その当時は宮沢賢治記念館も、近所にある高村光太郎記念館もひっそりとした古い木造の建物だった。東北新幹線開通によってそれらはリニューアルされ、いまや立派な観光地になっていた。宮沢賢治記念館のある小高い丘からの眺望は素晴らしかったし、彼の肉筆原稿は、どれだけ真摯な改稿、推敲が行われたかを教えてくれた。けれど、同時に宮沢賢治はあの場所の観光資源にもなっていた。なんとなくほのぼのした童話チックなテイストやきらめく星々のイメージばかりが前面に押し出されているようにも感じられた。本当の彼はたくさんの間違いや失敗もし、周囲に迷惑をかけながらも、自分の出来ること、自分の生きる道を必死に探る不器用な人だったはずだ。その必死のあがきが美しい数々の作品となって残されたのだ。

「青ノ果テ」は宮沢賢治がかつて教師をしていた高校に謎の転校生がやってきた、という物語である。まるで「風の又三郎」ではないか。髪を染め、東京からやってきたイケメンの深澤。主人公、壮多は幼馴染みの七夏が彼によって傷つけられることを警戒する。彼らは新たに設立された地学部の部員となる。宮沢賢治の物語がモチーフとなって様々な体験があり、そしてその中で解き明かされるいくつかの謎。

子どものころ、私は宮沢賢治の物語に繰り返し登場する自己犠牲が好きではなかった。誰かのためにわが身を焼き尽くすよだかの気持ちがわからなかったし、火山の噴火を止めるために飛んでいくグスコーブドリが不思議だった。何も死ぬことはないじゃないか、と何度も思った。何度も思ったのは、何度も読み返したからだ。あのころは、死ぬなんてことが自分ごとではなかったのだなあと思う。今、この歳になると、人は誰もが必ず死ぬという現実がしみじみわかっている。だからこそ、いつか死ぬのであれば、誰かの役に立てるのはいいことじゃないかと静かに思う気持ちも受け入れられる…気もする。どれだけ生きるか、よりも、どう生きるか、が大事だということも何となくわかる。でも、なんとなく、である。まだまだ未熟だのう、自分。

この物語でも、自己犠牲は重要なモチーフである。だが、それをどう捉えるかは、若い登場人物ひとりひとりであり、読者それぞれである。そんなことを考えるきっかけを貰うのは、悪いことではない。これを読んだ人は、もう一度宮沢賢治を読み返したくなるかなあ。そこへ立ち戻るのは、なかなか新鮮かもしれないよ。