83 桐野夏生 中央公論新社
「もっと悪い妻」以来の桐野夏生。この人の書くものは、時として底意地の悪さがあるので、ちょっとエネルギーを要する。でも、この本は一気に読んでしまった。
主人公のモデルになっているのは「中ピ連」の榎美沙子。と言っても知ってる人はもう少ないだろうな。彼女が活動していた頃、私はまだ子供だったけれど、なんとなく覚えてはいる。「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」の代表だった人だ。私の記憶にあるのは、ピンクのヘルメットをかぶった複数の女性たちが、女性を泣かせる男性のいる場所へ押しかけて抗議している姿である。今でいうDVをふるう男性への抗議活動をあらかじめメディアに予告して行い、報道させ、それによって彼の行動を世に知らしめ、報復する。それは中ピ連の下部組織「女を泣き寝入りさせない会」の活動だったらしい。
本書では名前も活動主体も別名に変えて、内容も脚色されている。でも、明らかにこれは中ピ連の話だ。あの当時は、世に男性の悪行をばらし、公開抗議する行為は嘲笑と蔑みの対象でしかなかった。私も、なんだか大騒ぎしてるおばさんたちという印象しか持たなかった。今ならSNSもあるし #MeToo運動もある。DVの犯罪性も世に受け入れられ、実際にハラスメントで職を追われる人も多数出てくるようになった。彼女の行動は、時代を先取りしていたのだけれど、早すぎたのかもしれない。本書を読んで初めてそう気づかされる。
男性を告発する派手な活動は徐々に下火になり、宗教団体を設立したり、政党をつくって選挙に出て惨敗した後、彼女は姿を消した。司法試験を受けるという報道もあったが、その後の消息は分からない。京大薬学部を出てロシア語も堪能だったため翻訳の仕事をしていたらしいということだけがわかっている。本書は、彼女をめぐる様々な人々へのインタビューによりその姿を浮かび上がらせている。
中絶とかピルとか、男には関係ないってみんな思っていたんじゃない?当時の男たちは。私もそうでしたよ。まるで生理の血を思わせるような、そんな生々しい話は聞きたくないもの。
えっ、マスコミは男のものかって?そりゃそうですよ。今は、女や子供や外国人や、それから、ほら、あれ何て言うの?LGBTQとかって人たち。そういうすべての人に気を遣ってるふりして、公正を心がけなきゃならないらしいけど、本来は男のものですよ。社会を動かしているのは、男たちなんだから。
私から見ると、皆さんヒステリックでね。男たちはみな、問い詰められて詰られて縮み上がってますよ。
(引用は「オパールの炎」桐野夏生 より)
当時の彼女を追っていたマスコミの男性たちの発言は、聞き覚えのあるものばかりだ。女性が自分たちの権利を訴えようとすると、こんな風に言われていた。私も職場で疑問を感じ、誰かにものを言おうとすると、こんな扱い方をされたように思う。そして、そういうものだと諦めているところもあった。
逆に彼女に共感し、助けようとした男性の姿も描かれている。それが彼女の思いとぴったり重なるものではなかったとしても、自分たちなりに分かろうとし、何かしたいと思った男性もいる。そういうものだ。世の中は、ほんの少しずつでも動いていく。わかってくれる人も、どこかにはいる。
中ピ連の活動は、メインのフェミニズム運動とはまた別の路線を歩むものであった。産む性であることをどう捉えるかは、平塚らいてうや山田わか、与謝野晶子の時代から常に女性の中でも意見が分かれるところである。そして、分かれて当然なこともである。
どんな意見も尊重され、少数派も踏みにじられず、強いものの言いなりにならずに済む社会。そんなものが実現するのだろうかと疑いつつも、それでも時代は変わってきた。ここ数年の、女性を踏みにじる男たちを許さない社会の流れは、それを明らかにしている。だからこそ、今だからこそ、この本の存在意義があるのかもしれない。忘れていたことを思い出す一冊であった。
