おやときどきこども

おやときどきこども

8 鳥羽和久 ナナロク社

初めましての著者である。大学院在学中に学習塾を開き、2010年に教室内に単位高校のシステムを導入して高校中退者を対象に大学進学のサポートも行うようになった人の著作である。

この本には、塾経営を通じて出会った子どもと大人のエピソードを中心に、親子のかかわりや、教育の在り方、そして私たちがどう生きていったらいいかなど、迷いながら考えたことが書かれている。どれもが身近にあり、自分にも覚えがあり、どうしたらいいか迷ったり悩んだりしたことばかりである。それだけに耳が痛い部分もあるし、いや、そうはいかないだろうと思う部分もある。本当にその通りだと思うところもたくさんある。

親は子どもに「こうしてほしい、こうであってほしい」をどうしても思う。子は子で、親の期待にこたえたいと思いつつ、そうはいかない自分を抱えて生きている。「いつになったらやるのか、なんでやる気にならないのか、なんで言うことを聞かないのか」という親と「やってるのになんでわかってくれないのか、やってるのにできないんだよ、そんなに自分は悪い子なのか」と苦しむ子。そのはざまで、著者はどちらの言葉にも耳を傾けながら、子どもの気持ちをすくいとり、わかろうとし、親の葛藤をも受け止める。

「なんでできないのか」とできない子を責めたって、できたらとっくにやってますよ、とできないから困ってるんじゃないか、と子は思う。「前にも言ったじゃないか、何度も行ったのになんで覚えないんだ」と言われても、覚えられないから、忘れちゃうから今困ってるんじゃないか、と子は思う。「いつやる気になるんだ」と親はいい、子は、やる気になる方法があったら教えてくれ、と思う。「自分で決めたんだから頑張れよ」と親は言うけれど、子は、それ以外の選択肢を与えられたことがない。全部、よくある話だけれど、当事者には深刻な問題だ。

振り返れば、私の親は何が正しいかは親が決めると思い込んでいたし、私が幸せかどうかではなく、世間的に見て、あるいは親から見て幸せそうな選択を望んでいた。私が、本当に自分の望んでいるのは何なのか、を自分自身とだけ向き合って考えられるようになったのは、もしかしたら親元を離れてからかもしれない。ただ、私は、大人は子どもの気持ちなんて全然わかってないし、分かろうともしていない、と、かなり小さなころからはっきりわかっていた。そして、私だけは、大人になっても子どもの気持ちをわかる人でありたい、と強く思っていた。実際に大人になったら、子どもの気持ちをわかる大人になるってものすごく難しいことだとわかってしまったけれど、それでも、大人は子どもの気持ちを本当にはわかっていない、ということを忘れない大人にはなろう、と思った。そして、それだけは、今も思い続けている。

そんなことを思い出しながら、この本を読んだ。

子供を頭ごなしに叱ったり、罰を与えたり、否定しても何も生み出さない。反省を求めても、「自分は悪い子だ」と思い込んで、本当に悪い子になってしまったり、反省しているふりばかりが上手になることがほとんどだ。前に「反省させると犯罪者になります」という本を読んで、題名のインパクトに驚いたが、書いてある中身は理解できた。自分と向き合って、自分を知ること、自分理解することから出発しないと、表面上の「良い子」ぶりだけが身についてしまう。

という本書の一文が、私には腑に落ちた。良いか悪いかなんて人が後から決めた評価に過ぎない。授業中に集中力がなく頑張っていないように見える子どもだって、本当は机に向かって座っているだけで、十分に頑張っていることだってある。ぼんやりとばかりして宿題をろくにやらない子だって、そのぼんやりの中で、ものすごく豊かなことを考えていることだってある。だのに「落ち着きのない子」「宿題すらやらない子」だから悪い子にされてしまう。それは理不尽だ。親の求める子になれなかった私は本当に、心からそう思う。

親が正解通りに動けなどという本ではない。親の葛藤もまた、ともに困りながら受け止め、考えている本である。けれど、この本は、やっぱり子どもの側に立ち、子どものことを大事に思う人が書いた本だ。もう子育てが終わってしまった私だけれど、良い本だと思う。子どもの側がこれを読んで得るところが多いかもしれない。高校生が夏休みの感想文をこの本で書いたりしたらいいのになあ。そうしたら読みたいなあ。