岡村昭彦を探して ベトナム戦争を報じた国際報道写真家の光と影

岡村昭彦を探して ベトナム戦争を報じた国際報道写真家の光と影

139 松本直子 紀伊国屋書店

岡村昭彦の「南ヴェトナム戦争従軍記」を私は十代の頃に読んだことがある。詳細は忘れてしまったが、恐ろしい戦争の現実をリアルに伝えるこの本に打ちのめされたことだけは覚えている。本書には「南ヴェトナム戦争従軍記」の、解放軍の戦士を縛り上げて拷問にかけるシーンが抜粋されているのだが、それを読んだとたん、当時受けたショックがありありとよみがえった。戦争とはどういうものか、を私はその本で思い知らされたのだ。

岡村昭彦は常に権力に反旗を翻し、弱い者、貧しいものの味方であり、勇敢に戦地に出向いて写真を撮り続けた勇者であった。そのはずだった。だが、岡村を伯父に持つ筆者は、時として彼の逸話に疑問を持ち、違和感を覚えることがあった。本当の岡村昭彦とはどんな人間であったか、彼女は当時を知る人たちを訪ね、資料を集め、探し始めた。そこには、世で言われる彼とはまた違う影を背負った人間の姿が浮かび上がった。

岡村昭彦の父方の曽祖父と叔父は、天皇家の侍従であった。また、母方の祖父は大正天皇の皇太子時代の武官であり、母親は皇后にかわいがられ、度々参内していた。岡村自身も学齢に達すると学習院に入学した。岡村には、子ども時代に学習院でやんごとなきお方を池に落として、それが理由で放校された、という昔語りが残っている。それは彼の幼い頃からの反骨精神を表す武勇伝として語り継がれたものであった。が、実は放校は、彼自身の起こした問題行動によるものに過ぎなかったということが明らかになる。

彼はその後、東京医専に入学するが、人間の部品を直すだけの医学に疑問を感じ、退学したと言っている。だが、実際には、それは最初から徴兵を逃れるための入学であり、医学への興味を失っての退学であったと筆者は推察する。そして、何より驚いたことに、彼は、戦後、釧路で学生時代の医学知識をもとに無免許のまま医者のふりをして医療行為を行い続け、逮捕されたのである。それは貧しい民衆を助ける為であった、と彼自身は後に書いているが、実際には街の真ん中に富裕な援助者の手を借りての開業であり、堕胎手術に失敗してほかの医者に担ぎ込まれる患者などもいたようである。

渡辺淳一の「阿寒に果つ」という小説は、実は岡村昭彦がモデルであるという。無免許医療行為で逮捕された彼の保釈金を融通した彼の愛人こそが、「阿寒に果つ」の魅惑的な女主人公であり、のちに凍死体で発見された悲劇のヒロインであったのだ。

というように、その後の岡村昭彦の生涯を見ても、非常に二面性の強い人であったことが明らかになる。自らの人生をドラマチックに演出する人であったし、人の手を借りてそれを自分の手柄とするところも多々あった。だが、その一方で勇敢に戦地に入り、どんな人とも打ち解け、パワフルに道を開く強い人でもあった。作者は、そんな伯父について「様々なことを知ってなお、わたしのなかで彼のベトナムでの功績は揺るがない。」と語る。若き日の曲折や過ちを知ってなお、その言葉がある。

この年齢になって、人というのはだれしも多面的で、〇か×かで判断できるものではない、ということがつくづくとわかってきた。どんな人にも間違いはあるし、隠したい過去もある。それでも、今を、できるだけ誠実にまっすぐに生きようと思えれば、それを大事にしたいし、そういう人に私は敬意を持つ。私自身が、ギャッと叫んで穴に隠れたいような間違いや失敗も多々起こしてきた人間であるからこそ、そう思う。岡村昭彦も、そういう人の一人であった、ということなのかもしれない。