世に棲む日日234

世に棲む日日234

2021年7月24日

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「世に棲む日日 2~4」司馬遼太郎 文春文庫

一巻を読み終えた時点で一度書いたが、ついに最終巻までを読み終えた。久しぶりの司馬遼太郎を堪能した。

吉田松陰が死んだ。ペリーの船に乗せてもらってアメリカを見てこようとしたのだけど、黒船に近づくための方策も十分に計画しておらず、浜で盗んだ小舟には櫂を固定する入れ子もついていない。しょうがないからふんどしで止めたけど、すぐに取れちゃった、なんてエピソードはびっくりするひどリアルで面白い。

松蔭は、黒船に乗れた時点でとんでもなくへとへとだったらしい。どうしても連れてってもらえないと決まって、水夫が岸まで送ってくれた。この時に、そのままお尻まくって逃げちゃえば何の問題もなかったものを、かくなる上は自首しよう、とわざわざ番小屋まで申し出に行く辺りが、どうにもおかしい。しかも、役人もめんどくさがって対応しようとせず、逃げるチャンスを山程与えるのに、捕らえよ、と自分から捕まえてもらうって、松蔭、そういうところが彼の狂的なところだ。

松蔭が死んだ後は、高杉晋作の出番である。とても若かったのね。思いついたらすぐに行動する、その行動が功を奏して歴史を動かしていくのだが、彼自身に人望はない。ないということを本人がしっかりと自覚しているから、コトが済んだらさっさと責任ある地位を人に譲って何処かへ行ってしまう。最終的には奇兵隊で大いくさをして成功すると同時に死んでいったのだから態度が一貫している。

それにしても、高杉晋作は何かを行おうとしては藩の公金を預かり、まず最初に遊郭へ行ってどんちゃん騒ぎをする。三日ほど飲んで歌って踊らなければ、絶対に行動には移らない。それを彼の豪胆さや野放図さの表れとする人は多いが、いいのか、それで、と主婦的発想で思うのである。大きいことを成すためには、それくらいの放蕩など・・・と本当に思うのか。それでいいのか。その金は、どこから来たのか。と、なんどでも思ってしまう私である。

長州藩は明治以降の歴史を担っていくわけだが、高杉晋作が活躍した頃は、なんともいい加減な、態度をコロコロ変える、そして、何事もはっきりと決めることのできない殿様に治められていたことよのう、と呆れてしまう。暴走する若者を押さえられない老中たち・・・って、やりたい放題の安倍を苦々しく思いながら求められない自民党の重鎮たちみたい、とかも思うのである。

ともあれ、歴史の教科書で、ほんの数行から数ページで過ぎてしまう事柄が、なんといきいきとわかりやす面白く描かれていることか、と感心したし、引きこまれたし、幕末ってやっぱり面白い!!と改めて思った私である。

が。ここに描かれていることは、司馬遼太郎による物語なのである。私が読んだのは、司馬史観であって、歴史の真実そのものではない。もちろん、時代が近く、証人も大勢いた頃に書かれた物語であるし、綿密な取材も、膨大な資料も司馬さんのことだから、それはそれは丁寧に調べられたことであろう。だとしても、彼は、見たわけではないのである。その場にいたわけではないのである。

なぜこんなことをわざわざ書くかといえば、この物語を読んでいて、私は、妙な既視感にとらわれたのだ。そして、それは中学生の頃、歴史の授業中に教師が言ったこととおなじである、と思い至った。教師は、歴史を教えるにあたって、この物語に描かれていたことを私たちに、授業の中で、史実としてそれを語った。なんだかなあ、と思うのである。まあ、歴史なんて資料から起こしてくるものであるから、司馬遼太郎の歴史小説を語ったっていいけどね。でも、誰が正義で誰が悪だなんてことは、どの視点から見るかで全然違ってくるし、後世の評価だっていくつにも分かれるものだ。司馬史観は、ひとつの史観にすぎない。ということも、忘れちゃダメだよなあ、とおもうのである。

そう思うほどに、司馬遼太郎の物語は説得力にあふれた魅力的な世界である、とも言えるのであるが。ああ、面白かった。

2015/11/16