図工準備室の窓から

図工準備室の窓から

2021年7月24日

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「図工準備室の窓から 窓をあければ子どもたちがいた」

岡田淳 偕成社

「二分間の冒険」にも書いたように、図書館の読書会から派生して、別の読書会にお誘いを頂いた。それはとある小学校の保護者と教師の有志による会であった。何の関係もない一人のおばちゃんを、そんな会に招待してくださった参加者の皆さんの太っ腹に感謝せすにはいられない私である。校長先生や数名の教師を含むこじんまりとした会は、それぞれの大人としても経験も踏まえた上での子どもの本への愛情が感じられる温かい集まりだった。

「図工準備室の窓から」は、その会で校長先生がみんなに紹介した本である。出席した教師の一人は、これを読んで、岡田淳が優れた図工教師であることがわかったと同時に、教師として羨ましく、嫉妬せずにはおられなかったと言っていた。子供たちとの関わりが自然で信頼にあふれていて、しかも自分も楽しんでいる。謙虚で、子どもから学ぶ姿勢もあって、私だって、こんなふうになれたら、と思うと嫉妬してしまったのだそうだ。

表紙を開いてすぐ、何ページかにわたって載っている図工準備室の写真を見ただけで、なんともワクワクする。こんな先生に図工を習ったら、さぞ楽しかろうと思わずにはいられない。だが、文章はさらに面白かった。

岡田淳は、自分が子どもたちを「教えている」とはあまり思っていない。遊んでもらっている、付き合ってもらっている、というような気分があるという。でも、付き合ってるなんて表現をするのはなんだかおかしいし、それが女生徒だったりすると更にややこしいことになってしまうので、一応「教えた」とは書くんだけど、という。

そういう姿勢は、たしかに文章から伝わってくる。彼は、子どもたちを、自分より劣ったもの、下にあるものとは決して考えていない。先日読んだ「エヴリシング・フロウズ」からも、私は同じようなものを感じたのだが、つまりは、子どもたちを、自分と同じ価値あるもの、自分と同じように困ったり悩んだり考えたり乗り越えたりするものとして、尊重し、敬意を払ってみているのだ。そこが、気持ちいい。

石井桃子は、子どもが好きだったのではなく、自分の中にいる内なる子どもが物語を求めていたのだ、と「ひみつの王国」にあった。そういうタイプの児童文学者が多い中、岡田淳は紛れも無く、子どもが好きで、目の前の子どもに向かって物語を書く作者なのだ。

私は図工の時間があまり好きではなかった。上手に描いたり作ったりしなければならないと思うのに、思ったほどいいものが出来ないので、いつも心がいじけていたように思う。岡田淳先生みたいな人に習えたら、もっと違う感想が持てただろうなあ、と思えてならない。

図工は、いつの日か勘定をごまかされぬように、という類の実学ではないのだ。つまり、いつの日か豊かな人生を送れるために、ではなく、今を豊かに生きる実学であったのだ。
 今、表現を楽しむこと、それ自体の中に豊かな人生があると思う。「いいぞ、いいぞ」「俺よくやった」「あいつすごいな」とわくわくする体験、それが「豊か」なのである(そしてそれが、いつの日にか、の豊かな人生につながればうれしい)。
 図工は「いつの日にか」ではなく、「今」なのだ。きっと。

(引用は「図工準備室の窓から」岡田淳より)

この本には、岡田淳がいかにして子供の本の作家になっていったかが描かれている。関西にしばらく住んでいた私には懐かしいものがいくつも登場した。彼が子ども時代に人魚の赤ちゃんに出会ったのは、武庫川女子大学甲子園会館である。密かに胸に温めていたその秘密の真実に出会ったのは、彼が教師となってからのことであるが、その真相については、読んでからのお楽しみということで。

また、彼の作品を本にするきっかけを作ったというひつじ書房や、そこの店主、平松二三代さんは、関西で読み聞かせ活動をする者達の母親のような師匠のような存在である。岡田淳という作家の誕生にも彼女が手を貸していたのか!と改めて驚いた。

岡田淳という作家の持つ明るさ、向日性、伸びやかさの源泉がどこにあるかがわかる、そんな本である。

2014/12/8