対馬の海に沈む

対馬の海に沈む

91 窪田新之助 集英社

2024年 第22回 開高健ノンフィクション賞受賞作。

2019年、対馬の海で一人のJA職員が車に乗って海に転落し、溺死した。彼は対馬JAの天皇とまで呼ばれた、共済事業営業のトップに君臨する職員だった。営業成績の優れた職員に対する優良表彰をほぼ毎年受け続けてきた彼は、JA対馬全体の三分の一の契約を獲得していた。それは、対馬の人口の一割以上に相当したという。そして、営業成績に対する歩合給はプロ野球選手並みと言われるほどであった。

だが、死後、彼は共済契約先の建物の被害を捏造し、共済金を不正に振り込ませ、それを借名口座に振り込ませていたことが明らかになっている。それらの資金をもとにさらに共済契約を増やし、共済の掛け金を支払い、そして共済金を不正入手する・・・。その被害総額は発表されただけで22億1900万円に達していた。

彼の死は自殺と判定された。死の直前に犯行を隠そうとしたさまざまな行動が行われていたこともわかっている。だが、あまりにも巨額の不正は、彼一人では到底成し遂げられない内容である。その犯行がどのようになされたのか、地道な調査をもとに明らかにしたのが本書である。

いったい人は何を幸福と感じるのだろう。この事件の主人公、西山は、犯行を続けるために毎日書類を捏造し、口座を動かし、偽写真を収集し、発覚を防ぐために事務所で来客を監視し続けた。食は細く、好むのはタコとインスタントラーメン。毎晩のように軍団と呼ばれる仲間と飲んではいたとはいうが。収納のための小屋を建てるほどの大量のフィギュアを収集し、高級時計を買いそろえ、高級外車も何台も持っていた。そして、成績優秀者としてJAに君臨した。それが彼の幸福だったのだろうか?

その犯行は彼一人で成し得るものではなかった。その実態が明らかになるにつれ、ぞっとする思いに駆られる。被害者がいない犯行。いや、実際には被害は厳然とあるのだが、周囲の人間は、被害を受けたとは思っていない。むしろ彼に助けられた実感すらある。誰もがうすうす知っていても決して口には出さない。そして利益は受け取り、そういうものだ、それでいいと言われたから、みんなやっているから、と深く考えさえしない。それを批判する者は左遷され、遠ざけられていく。これは、同調圧力に満ちた、極めて日本的な構造である。

一億総ざんげという言葉を思い出す。なんとなくよくないと思っていても、それを口には出せない空気であった、そして悪いのはみんなだった、誰か一人の責任ではない、とすべてを曖昧のまま片づけてしまう。そういう空気が、この国には常にある。自分がその時どうすればよかったのか、何をすべきだったのか、なぜそれを止められなかったのかという深い思考を最初から放棄するのだ。

現在進行形で起きている様々な出来事を思い、私は暗澹とする。自殺した彼も悲しい人であった。周囲を見渡しながら、内輪ですごいと言われることに浮かれ、広い視野をもたず、いずれ追い詰められていく。それを防ぐには、どんなに浮いてもなお、間違っていると思うものにはNOと言い続けるしかないのかもしれない。