文学キョーダイ!!

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87 奈倉有里 逢坂冬馬 文芸春秋

奈倉有里逢坂冬馬が兄弟だということを「文化の脱走兵」で知って驚愕した。これはその二人の対談本である。奈倉氏はロシアに留学してロシア文学を学び、日本に帰って大学院で研究をつづける。逢坂氏は日本の大学に入り、研究者を目指すも挫折し、会社勤めもうまく行かず、小説を書き始める。互いに直接、連絡を取ることもなく全く違う生き方をしていた二人。2021年、奈倉氏は初の著書「夕暮れに夜明けの歌を」を上梓、一か月後、逢坂氏は独ソ戦を素材にした小説「同志少女よ、敵を撃て」を出版。まったく異なることを探求していた両者が思わぬ地点で再開する不思議な瞬間であった。

逢坂氏は小学生時代「少年少女日本の歴史」(小学館)を愛読していたそうだ。幕末の探検家、間宮林蔵が上司の松田伝十郎と、樺太が半島なのか、島なのかを探ることになる。松田は間宮に「わたしは西、そなたは東を行くのだ。もし樺太が島ならば、どこかで会えるはずだ」と言って別れる。このエピソードを逢坂氏は兄弟二人の歩みにたとえている。(ちなみに私も小学生のころから歴史オタクで少年少女向けの歴史本を熟読していた。間宮と松田のこのエピソードも読んだ覚えがある。ワクワクしたのを覚えている。)

二人の話は多岐にわたるのだが、どれもこれも豊かで深い読書経験に裏打ちされている。この二人がどんな両親に育てられたのか、そこからどんな風に生きてきたのか。まるで深い森を歩くように、長い物語を読むように興味深く面白く学びの多い対談である。

私は漫画が好きで、親に禁止されながらもこそこそと漫画を読む子供時代を過ごしてきたのだが、戦いで物事を解決する漫画は読まなかった。読めなかった。楽しくなかったのだ。逢坂氏が「ドラゴンボール」よりは「りぼん」を読んでいたという話が、私にもよくわかる。

この二人の両親は、子どもたちに果てしなく大きな選択肢を与えてくれた。普通であるかどうかは考えなくていいから、もし何か学びたいものがあったらそこから本気でそれをやればいい。友達といるよりも、図書館で本を読んでいるのが楽しければそれでいい。好きなことを楽しんでいれば、いつか同じような人に出会える。読書によって、いつでも帰っていける場所が頭の中にできる。

奈倉氏はゲーテとトルストイが好きで、「ゲーテが言ってるならいいんじゃない?」と自分を安心させるという。逢坂氏は「大塩平八郎だったらどうしたんだろう」と考えることがあるという。文学に教えを請うのも共感するのも、あるいは反発するのも、全部読者の大事な権利だ。本を読むということの力をこの二人はよく知っている。そこに私は強く共感する。

戦争は絶対にいけないんだということを伝えたい、と二人は言う。今まさに繰り広げられている戦争も、あるいは過去にあった戦争も、みんな等しく自分たちと同じ生きとし生ける人間の命を奪っていくものだったということをフィクションの世界で伝えていかなかったら、戦争に対する想像力というものは必ず失われていく。殺し合いをするのは絶対に人間の本来の在り方ではない、という確信を二人は語り合う。

当たり前の、そしてとても大切なことを、二人は様々な体験を通し、読書を通し、つかみ取り、語り合う。この兄弟が育った家庭がどんなものであったかがだんだんにわかってくる。本当に大切なものを、周囲の評価などに左右されず、正しく見通し選ぶ力。信じる気持ち。そんなものをはぐくんだ家庭の力を感じる。

多くの学ぶべきものがあり、楽しめる話題があり、まっすぐな兄弟の心が伝わってくる良い本である。ぜひぜひお読みいただきたいおすすめ本。