透析を止めた日

透析を止めた日

156 堀川惠子 講談社

透析とは、腎臓の機能が著しく低下、廃絶した患者の身体から過剰な水分や毒素などの老廃物を取り除いて血液を浄化する治療である。…ということはぼんやりと知っていた。だが、それ以上のことは何も知らない。この本を読んで自分が本当に何も知らなかったことを思い知らされた。

作者の夫は多発性嚢胞腎という難病が元で38歳から透析を始めた。結婚したのは透析開始の八年後。周囲の反対もあった。12年に渡る透析の後、腎臓移植をして透析を逃れた9年間、そして透析を再開して1年余。病との闘いの中、NHKのプロデューサーとして優れたドキュメンタリー作品を多数残し、最後の著作の執筆途上で亡くなった。その闘病の日々の姿と、亡くなった後、透析の実態について改めて取材して書かれたのが本書である。

透析のために患者の腕には「シャント」が作られる。静脈と動脈を手術でつないだ人工の血管だ。シャントは一般的な血流の五倍から十倍の激しい血流を人工的に作り出す。それによって安定的な透析が可能となる。このシャントの二カ所に太い針を刺し、一方から血液を外に出し、老廃物を除去した新しい血液を身体に戻す。そうやって血液を入れ替えるのが透析である。透析は週に三回、透析施設で行う。一回の透析は四時間。前後の処置を合わせると四時間半の拘束である。作者の夫は残業200時間の生活の中、早朝、深夜に透析に通っていた。

透析患者はほとんど尿も出ない。身体に水分がたまっていき、それを透析で取り出す。透析後は最大限に水分を抜いた干からび切った状態となる。除水量が増えると透析はつらい。筋肉がつり、低血圧を起こす。血圧が下がりすぎて意識を失い、死に至るケースすらある。ほとんど身動きできない状態で四時間、じっと痛みに耐えるのが透析である。

日本では約35万人が透析を受けている。医療費の総額は年間一兆六千億円。透析は、全医療費の4%を占める巨大ビジネスでもある。身体の劣化は確実に進むし、透析を永遠に続けることは不可能である。だが、患者を死に向かって軟着陸させる体制はない。ホスピスに入れるのはがん患者だけであり、緩和ケアすら受けられない。認知症になり、寝たきりになり、意識を失ってもなお生物学的な死が訪れるまで延々と透析を受け続けるケースも多い。が、それは人間の尊厳とは程遠いものだ。透析患者の終末期の問題はどこも、誰も考えていない実情がある。作者の夫も、その中で辛い苦しい死を迎えるしかなかった。本作第一部の記録はその過程が描かれており、読むのはつらく苦しかった。だが、知らないことだらけでもあり、知ることによって自分たちのこれからを考える大事な要素を貰ったとも思う。

後半、第二部は透析機器の展示会場から始まる。ドクターと間違えられた作者が営業マンに丁寧な説明を受け、だが、取材者であると知らされたとたん、顔色を変えられた。その当時、東京の福生病院で透析患者が透析中止により死亡、その際に病院が十分な説得や説明、適切な延命処置を行わなかったことで訴訟が起きていたことも影響していたのかもしれない。

透析には、実は、「血液透析」と「腹膜透析」の二つの選択肢がある。日本で透析というとほとんどが透析クリニックで行われ、治療効果の高い「血液透析」である。「腹膜透析」は自宅で患者自身によって行われ、治療効果は緩やかだが身体への負担は少ない。腹膜炎を起こすことが稀にあり、在宅での患者自身での操作が難しく、効果が薄く、感染症を起こしやすいなどというデメリットからどうしようもない場合に仕方なく導入するものという捉え方が長くされていたという。だが、終末期に、腹膜透析は効果が穏やかで苦痛が少なく、自宅で過ごせるという観点からは血液透析よりも優れていることが本書では指摘される。実際に腹膜透析で穏やかに死に至ったケースがいくつか紹介されており、作者の夫も腹膜透析を選んでいたら違う形の最期があったのではないかとも考えられている。

透析ビジネスの潮流には乗り難い腹膜透析の終末期のメリット。医療現場での様々な矛盾。病院選び、医師選び、そして、自分の死に方選び。そういったことへの大きなヒント、示唆をこの本から得たと思う。まずは医療従事者、とりわけ透析医療に携わる人たちに読んで欲しい。

ところで、この作者、初めましてかと思ったら「永山則夫 封印された鑑定記録」をかつて読んだことがあったことがわかった。あの本も大変な迫力で多くを教えられた。どうかこれからも頑張ってください。