香君

香君

153 上橋菜穂子 文芸春秋

「狐笛のかなた」以来の上橋菜穂子である。厚めの二冊上下巻であったので、こりゃ手ごわいぞ、と思いながら読み始めたが、面白くてすいすいと読めてしまった。さすが上橋菜穂子である。

オアレ稲という奇跡の穀物に支えられた帝国。この稲の種籾と肥料を独占することで帝国の権威は保たれてきた。そこには香君と呼ばれる女性の存在があった。香君はあらゆる香りをつかさどる神としてあがめられた。だが、そこにオオマヨという虫害が発生し、それを克服したのもつかの間、新たな災厄があらわれる。それに立ち向かったのは、一人の少女であった。

ファンタジーは結構苦手である。壮大な世界構築についていけないところがあるんだなあ。でも、この物語は最後までしっかりついて行けた。多すぎるかのように思える登場人物も、全員の顔が見えて、それぞれが好きになったし、理解できた。すごいぞ、上橋菜穂子の物語。

この物語はオアレ稲という植物や、自然や虫や人々が発するにおいから世界を理解し、読み解く少女の物語である。黙ってそこに存在するだけの植物が、実はにおいを発して助けを呼んだり、何かを主張しているという発想が非常に面白かった。が、それは実は現実に科学的に正しいことでもあるようだ。突飛な発想だけで物語が作られているのではなく、たくさんの科学的な根拠と調査、研究をバックにこの物語は作られている。私の好きな前野ウルド浩太郎さんを思い出しながら読んでいたら、あとがきに彼の名前が登場して嬉しくなった。

これはオアレ稲の物語だけれど、例えばこれは原発の話としても読めるなあ、と思ったのは読者である私の勝手な発想である。勝手だけれど、そのように、人々に絶対に必要なものをどのように作り上げ、行き渡らせ、それを管理していくかという政治や経済の話でもある。そんな固く描かれてるわけじゃないけれど、結局、人の世界を描くということは、そんな風にいろいろなことに投影もできる。そして、本当に大事なことが描かれているとつくづく思う。人を大事に思うこと、命を守ること、一部の人の利益だけを守ればいいわけではないこと、誇りを持って生きること、嘘をつかないこと。

豊かな栄養の溶け込んだおいしい温かいスープを飲んだ後のような読後感である。いい物語だったなあ。