49 服部文祥 本の雑誌社
長らく積読してあった本。服部文祥はあんまり得意じゃない。だって過剰な人なんだもの。でも、読み始めたら意外に面白い!と気づいて、福島にゴッホを見に行く旅のお供に選んだ。が、読み進める内に徐々にブレーキがかかって、結局ひどく時間がかかった。というのも、ずーっと同じことをぐるぐる、ぐるぐる書いてる(様に読める)んだもの。
そもそもが本の雑誌に連載していた記事なので、一度は読んだことがあるはずなのだが、たぶん手も入れられているのだろう、あるいは私の記憶力に問題があるのかもしれんが、新鮮に読めたことは間違いない。だが、ここに書かれているのは、自分はなぜ山に登るのか、なぜ狩猟をするのか、なぜできるだけ文明を逃れて生活したいと願うのか、命とは何か、生とは何か。そこんとこを、ずーっと考え続けているのである。そうだね、それはすごく深いテーマだから追い続けたいのはわかる。でも、だんだん飽きてくる。それというのも読んでいるのが、文明に毒され、ぬくぬくとした生に安住している私だからか。そうかもしれない。だけど、この人の家族やるのは大変だろうなあ、とつくづく思う。この人の奥さんの著作を読んだことがあるが、もうちょっと怒れよ、自己主張しろよ、と本気で思ったものだ。
鶏を飼って卵を産ませている作者が餌のランニングコストを計算する。残飯や屑米に多少の配合飼料を与えて、卵一個約14円。ところがスーパーで売られている卵は一個10円。いったいどんな配合飼料をやっているのか?そういえば、肉だってもとはといえば配合飼料である。それは安ければ安いほど、人口窒素で促成させたり遺伝子組み換えで効率を上げた野菜、穀類である。同じものを安く買うのが賢い買い物だとされているが、中身は全然違う。
作者のライフワークはサバイバル登山である。食料や燃料を現地調達しながらできるだけ現代装備や文明に頼らずに長期間野生環境(山岳地帯)を旅する登山。野生動物を狩猟し、さばき、焚火で料理して食べる。食料の調達とは捕まえて殺すことである。動物愛護の人たちからは批判を受けるが、彼の反論は決まっている。「他人に殺させてそれを金で買うのは、殺しを買っていることに他ならない」。
どうせそのうち山登りで死んでしまうだろうと思っていたが、この歳まで偶然にも生き続けている、と彼は言う。「死んではいけない」とよく言われるが、ほんとうに死は悪いものか?と彼は問う。危険な登山で死んでしまった仲間を悪く言うな、と彼はいう。平穏無事に生きても物足りない冒険者たちにとって、リスクを避けた生活を長く続けることは天寿なのか。天寿を全うすることが正しいのか。正義の味方のように死んではいけないと言われると腹が立つ。だが、実は自分も死にたくないと思っている。もしかして、ほんとうは死んでもいいのではないか?生の充実度は、死を肯定したうえで死なないように生きる方が性の充実度は高いのではないか?彼は、ずーっとそんなことを問うては本を読み、読んでは考えている。
ところで、本書は本の紹介書なのである。何冊もの本を紹介しながら、それを媒介にして、作者は自分の人生を語る。というか、探す、考える、追いかけている。それもかなり真正面から、何度でも、何度でも。最初は紹介された本を読みたいと思うほどにその内容が興味深かったのだが、徐々に彼の人生論の濃度が増し、紹介された本が単なる媒介になっていく。そして、何を紹介されたかがよくわからないまま、服部文祥という人間を突きつけられるようになる。そして、疲弊し、読むスピードが衰えていく。
最初のほうに紹介されたナンセンの「極北」、アルセーニエフの「デルスー・ウザーラ」、『最後のヴァイキングローアル・アムンセンの生涯」なんかは読みたくなったし、すでに読んだ小熊英二「生きて帰ってきた男」、角幡唯介「漂流」、サン=テグジュペリ「夜間飛行」「人間の土地」などは、そうそう、面白いよねー、なんて共感をこめて読めたけど。後半はわずかに「図南の翼」に反応しただけだった。これも私の能力不足かもしれないけれど。
