「本の雑誌スッキリ隊」を頼んでみた3

「本の雑誌スッキリ隊」を頼んでみた3

2021年7月24日

スッキリ隊がくる日が決まった。1月31日午後である。夫も、その日に合わせて半休を取った。やはり、大量の蔵書たちの最後は見届けたい。

時間通りにスッキリ隊到着。スッキリブルー浜本こと本の雑誌編集長、浜本さんに、スッキリレッド杉江こと編集者の杉江さん。それに、古書現世の向井さんと、お手伝いの男性お一人。古書現世の向井さんは、我々の母校のすぐ近くの古本屋さんだそうで、もしかしたら、私達も通っていたかも。

最初に、本の処分に踏み切る理由や経緯を取材される。一階にある本棚をちょっと見てもらうが、これは残す本しか入ってない分。それから、二階に上がる。古本屋さん二人と杉江さんは、作業を始める。本を手頃な量に重ねて紐で縛り、どんどん下に運んでいくのだ。その間に、浜本さんは本部屋の方に行って、残された本たちを観察したり、我々と本との関わりについて取材をしたり。本棚の上にある宮田珠己さんの若かりし頃のサイン色紙を見つけて、珍しがる。杉江さんも来て、宮田さんのサイン色紙なんて初めてみた、と興奮、写真を撮っていた。これはまだ、宮田さんが会社員だった頃、「旅行人」プレゼント企画でもらったものだ。

杉江さんは、「サッカーデイズ」の作者でもあり、本の雑誌社主催のイベントなどで何度かお顔を拝見したことがあるが、重い本を持って何度も階段を往復して、すごいなあ、若いなあ、と感心してしまう。運動をされる方なので、トレーニングになるかもしれないけど。

浜本さんは、同じ村上春樹でも、処分する本と残す本とあるんですね、その基準は?なんて、結構鋭いことを質問してくる。これだけ処分すれば、またたくさん買えますね、なんて危険なことも言われたりして。先ごろお亡くなりになった坪内祐三さんの死因は何なんですか、なんてこちらからも質問したりした。当日の夕飯までは普通に家でとってらしたとか。うーむ、人はいつ死ぬかわからんのう・・・。悲しい。

「本の雑誌」を大量に運びながら、杉江さんが「これが本当の製造物責任ですよ。作ったものを、最後は責任をもって引き取る。」と笑っていた。その中には、我々の投書が載せられたものもあるのだけど、もはやどれに載っていたのかわからなくなってしまったので、ま、いいか、とあきらめてしまったのだ。

話の特集も、全表紙を和田誠が担当していたので、今となっては資料的価値があるんじゃなかろうか、惜しいなあ、などと思ったりもするが、どんどん運んでもらう。センスのある雑誌だったんだよなあ。(遠い目)。

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2020/3/2