ミリオンダラー・ベイビー(ネタバレ注意)

ミリオンダラー・ベイビー(ネタバレ注意)

2021年7月24日

「ミリオンダラー・ベイビー」クリント・イーストウッド (出演, 監督)

何を今更、である。14年前の映画。しかも、4月にテレビ放映されていたのを録画して、それを昨日、見たのである。もうとっくの昔に散々話題になっていたのだろうけれど、14年前の私は何してたのかなあ。少なくとも、映画館に大人の映画を見に行く余裕はなかったと思われる。

最近、ジムでちょいとボクシングを習っている。と言ったって、おばさんのボクシングだからね。エアロビに毛が生えたようなもんです。習ったのは、ストレート、ジャブ、フック、アッパーだけ。実際に人を殴ったりはしません。しかも、左腕に腱鞘炎の古傷があるので、力いっぱいパンチを打てるのは右だけだしね。だとしても、ボクシング、楽しい。

ボクシングでくたくたになって帰宅して、あんまり疲れたのでへたり込みながら、これじゃ本も読めやしない、じゃあ、なんか見るべ、と録画をあさっていて見たのが「ミリオンダラー・ベイビー」。ボクシングの映画ということすら知りませんでした。なんか話題になったよなあ、だけで録っていたのね。いきなり小汚いボクシングジムから始まって驚きました。あ、ここから先、派手にネタバレしますので、未見の方はご注意を。

クリント・イーストウッド演じるところのフランキーはあんまりパッとしないボクシングジムを経営してるんですね。そこでマギー(ヒラリー・スワンク)という30歳位の女性が練習している。フランキーは女性にトレーナをつけない方針なんで、よそのジムに行けと言うんですが、マギーはただ黙々と練習する。ジムの掃除夫はモーガン・フリーマン演じるエディです。

日々練習に励むマギーに根負けして、エディにも勧められて、フランキーはトレーニングを開始します。メキメキと上達するマギー。ある程度の成長を見たところで、フランキーは別のマネージャーをつけてやるんですが、試合を見て、まかせられないと考え、自分がマギーの面倒を見ることにする。試合をするたびに、たいてい初回ノックアウトでじゃんじゃん勝つマギー。ついに試合相手が見つからなくなるので、階級を上げます。試合ごとに成長するマギー。

マギーは貧しい白人娘で、レストランで働きながらボクシングを続けています。勝ち続けてお金が手に入ったので、ママに家を買ってあげる。ところが、そのママというのがとんでもないクズで、家なんてもらったら生活保護費がもらえなくなる、迷惑だ、お金でくれればよかったのに、と憎々しげに言い放つ。児童手当を不正にもらっているという妹も後ろでせせら笑います。

フランキーも家族に恵まれない境遇みたいです、毎日、娘に手紙を書くけれど、それが全部返送されてきてしまう。彼は、毎週教会に通い、神父に神はいるのか、マリアの処女懐胎とは、などと質問しては煙たがられています。

さて、ついにラスベガスでマギーは100万ドルをかけてタイトル戦に挑戦します。相手は反則を平気でやると評判の選手。フランキーはエディに一緒に行かないかと声をかけますが、掃除があるからとエディは残る。エディは昔、フランキーに育てられたボクサーで、109回目の試合で、目に負傷を負って引退します。フランキーは止血がうまくできなくて、エディの目を駄目にしたことを後悔しているらしい。

フランキーが出かけた後に、ジムではいじめのような事件が起きます。ちょっと頭が足りないけれど、チャンピオンになりたいと願っている若者ウィリーを、やたらと強いデンジャーという男がムチャムチャに殴り倒します。デンジャーがこわしたトイレを黙って掃除していたエディは、ウィリーのグローブを片方だけ借りて、デンジャーを一発で叩きのめします。「110回目だ」っていうんですね、エディ、かっこいい。強くてジムに経済的効果をもたらすデンジャーよりも、弱いウィリーを救うんです。

ラスベガスではフランキーがマギーに「モ・クシュラ」と書かれたガウンをプレゼントします。「モ・クシュラ」はマギーの代名詞になっているアイルランドの言葉です。で、試合が始まるんですが、激しい戦いです。相手は反則を仕掛けてくるが、こっちも負けちゃいない。勝てそうになるんですが、相手がひどい反則をして、マギーはフランキーがリングコーナーに準備しておいた椅子に首を打って、昏倒する。

マギーは頚椎を折って、全身不随、寝たきりとなって病院で暮らすことになります。フランキーは毎日見舞い、希望をもてと励ます。そこへ、クズの親たちが弁護士を連れて押しかけてきて、財産を全部母親名義に変更しろというんですな。ママが大好きだと言っていたマギーがペンも持てないと知って、口にくわえさせてまでサインさせようとする。マギーはそこで初めて、親を切り捨てます、拒絶します。それを見守るフランキー。彼らはまるで家族のように信頼しあう関係性になっています。

マギーの足が壊死して、切断します。彼女は、昔飼っていた犬の足がだめになった時に、父親が犬を森につれていって銃殺した話をフランキーに語ります。そして、自分を手助けしてほしいという。そんな事はできないと言われて、マギーは夜中に舌を噛む。発見され、止血され、治療が行われても、また翌日に舌を噛む。

フランキーはエディに相談し、神父に相談し、そしてある夜、マギーの病室に忍び込んで「モ・クシュラ」の言葉の意味(「おまえは私の親愛なる者、おまえは私の血)を話し、呼吸器を止め、致死量のアドレナリンを注射し、姿を消します。それで終わり。

尊厳死の映画だったんですね。「こんな夜更けにバナナかよ」をまず思い出しました。あれは、体が動かなくなっても、機械無しで呼吸できなくなってもなお、生き続けようとする映画でした。一方、この映画は、まだ語ることもできる、意識もある、倒れて長い時間が経過したわけでもない状態で、呼吸器を止めて死の手助けをするんです。

呆然として、しばらく動けませんでした。あんなに活き活きと動いていた、強い意志を持っていたマギー。わかりあい、暖かい愛情を互いに持ちあったフランキー。なぜ、死なせることを選んだのか。最後のシーンはとても静かで、情報量も非常に少ないのです。ただ、夜更けに、「呼吸器を外すぞ。意識がなくなったら、アドレナリンを注射する。」と言って、そのとおりにして、ドアを開けて、行ってしまう。その後、フランキーがどうなったかもわからない、いや、マギーだって、その後、発見されて蘇生されたかもしれない、それだってよくわからない。とにかく、そこで終わるんです。

映画の中で時間が経過する間に、私はマギーもフランキーも大好きになっていたんですね。その一人の死を、もうひとりが手助けする。ショックが大きすぎました。しばらく動けなかったくらい。こんな終わりだと思ってなかった。どこかで、マギーが何か他の生きがいを見つけて、フランキーと人生をやり直す、みたいな脳天気なお話を期待していたんです。まさか、呼吸器を止めて、ぶちっと終わりになるとは。

ずっとそれから考えていました。何で殺すんだ、ひどいじゃないか、と。悲しくて、つらくて、悔しかった。でも、一方で、こうも思ったんです。これは、自分の人生に責任を持つ、という映画なのかも、自分で人生を選び取る、ということなのかも、誇り高く生きる、ということかも、と。そう考えると、「こんな夜更けにバナナかよ」とこの映画は、実は真逆というわけではありません。どんなふうに生きたいか、という望みの中には、どんなふうに死にたいか、も含まれます。貧しく辛い境遇に生まれたマギーが、大好きなボクシングを教わって、実力を手に入れて、あれだけ立派に戦って、自分を家族のように愛してくれる人も手に入れて、もう十分幸せだから、ここで死なせてほしい、と願ったんですね。意志の強いマギーは、舌を噛んで自殺を図り、見つかって治療されても、翌日また噛む。どんなに拒絶されても、教えてもらえるまで毎日一人で練習を続けたように、毎晩、マギーは舌を噛んで自殺を図り続けたかもしれません。どんなに痛くても。フランキーはそれを知っていたんですね。

フランキーは神父に相談に行く。神父は「神にすべてを委ねなさい」としかいいません。エディにも相談する。エディは誇り高く生きたい、死ぬ時に、やれることはみんなやった、と思いたい、とだけ答える。これは、神に委ねるのとは、またちょっと違う答えです。それらを経て、フランキーは呼吸器を止めることを選択する。神は何も救わない、といいたいのだろうか。だって、神父はそれまでもずっとフランキーの質問にちゃんと答えない。でも、それでも、最後にフランキーは神父に相談に行く。それは何なんでしょう。やっぱり神を信じているから?それとも、色んな人に意見を聞きたいから?マギーと関わる中で、色んな人に心を開いたってこと?よくわかりません。エディはもっと懐が深い。何を選択しても、フランキーを、マギーをそのまま受け入れそうな気がします。実際、最後の夜、彼はフランキーを待ち続けるんですから。

結局、この映画は、こうあるべきだ、というものを何一つ示さずに終わります。さあ、こんなことだった、後はあなたが考えなさい、と。それが辛い。重すぎて、辛い。フランキーはどこへ行ったんでしょう。死んだんでしょうか。どこかで生きているんでしょうか。マギーへの暖かい愛情を持つことが出来て、幸せだったんでしょうか。どうしたらよかったんでしょうか。私がマギーなら、私がフランキーなら。なんで殺したんだ、他の方法はなかったのか。どうしたらよかったのか。

こんなに心をかきむしられた映画は久しぶりです。「スリービルボード」以来です。あの映画も、私は大混乱しました。見るんじゃなかった、と腹を立てました。そして、何度も何度も思い返し、考え、凄い映画じゃん、と思い至りました。これも、そうです。14年前の映画、今更なんですけどね。「ミリオンダラー・ベイビー」を見た方、これを読んで思い出して、どうでしたか。いい映画でしたか。そこから、あなたは何を感じ取りましたか。教えてほしい。そんなふうに誰かと話したくてならなくなる映画でした。

クリント・イーストウッド、どこかマッチョな匂いがします。わたしはマッチョは苦手です。でも、脱帽します。音楽も彼がやったんですね。なんて才能だ。チャップリンみたいですね。彼の映画、ほかも観たほうがいいかもしれません。でも、元気なときでなくちゃ。しばらく、ここから動けない気がしています。

2019/7/3