はつなつみずうみ分光器 after2000現代短歌クロニクル

はつなつみずうみ分光器 after2000現代短歌クロニクル

37 瀬戸夏子 左右社

かなり長いこと「未読」の棚に置かれていた本。数年間、放置されてたかも。すまぬ。それというのも、これは短歌のアンソロジーであるからだ。短歌は短い語数で構成されてはいるが、心の中でそれを読み上げ、言葉を舌に転がして味わう必要がある。だから、恐ろしく時間がかかるのだ。

瀬戸夏子という歌人が編んだここ二十年の短歌の歴史が本書である。2000年から2020年の間に刊行された、第一歌集から第三歌集までを対象としている。歌集はそう簡単に出せるものではない。詠み手側も出資して何とか出版できることがほとんど。そして、そんなに沢山は刷られないから、本屋にもなかなか並ばない。でも、確かに短歌には歴史がある。俵万智、穂村弘、桝野浩一のような優れた歌人たちによって多くの人が短歌に惹かれ、歌人となっている。そのことを私はほぼ初めてのようにこの本で知った。私が最近の短歌で知っていたのは前記三人のほかは東直子鳥居上坂あゆ美くらいである。こんなにたくさんの優れた歌人がいるなんて本当に知らなかった。不覚であった。

「プレバト!」というテレビ番組で俳句を楽しんでいる。俳句は説明をできる限り排除し映像を描くことで句の背景を読者の想像にゆだねる。だが、短歌は文字数が俳句よりかなり多いので、説明してもいい、感情に浸ってもいい、季節にこだわらなくてもいい。かなり自由な世界を広げられる。だから、なんだってできる。SFだってバイオレンスだって抒情だってホラーだってできちゃうのだ。ものすごく頭でっかちな哲学や物理学的な考察だって広げられる。実に個性に溢れた世界だ。改めて驚いてしまった。

でも、私は結局、わかりやすい短歌が好きなのかも。あんまりねっとりした恋愛歌や抽象的な分析の歌にはついていけない。介護を読んだ藤島秀憲の

が身に染みるのは、やっぱり母を失ったばかりだからなのか。

飯田有子の歌集は刊行当時、フェミニズムの文脈では読まれなかったというけれど、絶対それじゃん、と思うし、すごく頷いてしまう歌が多い。

佐藤真由美は桝野浩一の「マスノ短歌教門下」から生まれた歌人であるという。

は、なんか好き。男性が読むと怖い短歌なのかもしれない。

短歌は何だってできる。私の出身校の短歌研究界出身の歌人が結構多く載っていて、そうか、大学時代のあの悶々としてぐらぐらとした時代を、短歌を読むことで乗り越える手もあるのか、と思ったりもした。人は自分を表現するものを手に入れると、心が強くなるものだからね。