ジュリーがいた

ジュリーがいた

126 島崎今日子 文芸春秋

ジュリーファンである。そもそも私の「サワキ」という名前も、ジュリーに由来している。「サワ」は沢田研二からだし、「キ」はジュリーの「ジュ」を漢字で「樹」にあてて、それを素直に読み返したものである。ファンと言っても、それほどレコードを買ったわけではないし、ライブやコンサートに足しげく通ったわけでもない。舞台や映画をいくつか見て、あとはもっぱらテレビに出たときに見るくらい。いつも思っているわけでもないけれど、何かのきっかけに「ジュリー」「沢田研二」という言葉と出会うと、心にぽっと灯がともる。ゆるぎない、確かに大事な存在。それがずっと変わらないままである。

2012年にジュリーの舞台を見に行った時の記録が残っていて、それを久々に読み返した。そうだよ、この感じ。集まる客一人一人が、人生をジュリーと重ね合わせているような感覚。かっこいいことも、それが変わって行くことも、時にうまくいかないことも、それでもちゃんと頑張ることも、そして何とかうまくやっていくことも、そのすべてが美しいと思えるような。ジュリーは、そんな感覚を体現する存在である。「土を食ふ日々」で久しぶりに見たジュリーは、まさにそのまんまであった。生きるって大変だけど美しいよね、と思わせてくれた。

この本は、島崎今日子が四年の歳月をかけて膨大な取材をもとに書き上げた本である。ジュリー自身への取材は一切NGであったので、彼の周辺を洗いつくして調べ上げてある。吉田拓郎池田道彦など、私がジュリーとの関連で気になっていた人たちもみな丁寧に取材されていた。本人以外だけで構成したことが、かえって沢田研二という、普段は前に出ようとしない、人の求めに忠実に答えようとするような人間性を浮き彫りにしたのかもしれない。あれだけの才能を持ちながら、傲慢にならず、助言に忠実で、他者のプロデュースに完璧に答えようとし続けたジュリー。その凄味が伝わってくる本であった。

ジュリーのコンサートに人が集まらず、ドタキャンになったという事例があった。その時、ファンの九割は文句を言わなかったという。「ジュリーのすることだから、いいのよ」と誰もがそれを受け入れた。ああ、その気持ちがわかってしまう私。ドタキャンも含めて、ジュリーがそう判断したのなら、それだけの事情や理由があったのだ、と信頼に基づいて「しょうがないじゃないのよ、ねえ」と受け入れるのだ。それくらい、ジュリーのファンはジュリーの生き方を受け入れている。自分の分身のように。

さて、私はこの本で「JULLIE by TAKEJI HAY (早川タケジ作品集)」という本を知ってしまった。ジュリーのヴィジュアル・演出・衣装を担当し、その独自の世界の作り上げたアートディレクター、早川タケジの衣装や演出の写真集である。もうね、絶対良いに決まってる。でも、そのお値段、なんと27500円。いや、二度と手に入らないし、プレミア必至の一冊ではあるけれど。レビューを見たら「3Kgは重すぎる、置く場所に困る、でも買ってよかった」のオンパレードである。せっかく書籍を処分しまくったのに、今更増やすわけにはいかないよなあ、重いのも嫌だしなあ、などと逡巡している私である。ちなみに試しに出入りの図書館数館で検索したが、どこにも置いていなかった。だよなあ・・・。