心はどこへ消えた?

心はどこへ消えた?

109 東畑開人 文芸春秋

「居るのはつらいよ」以来の東畑さん。ぐずぐずと愚痴を言いながら職務にまじめに取り組む心理士さん、実は凄腕の人であるが、そうは言わない、たぶん思ってもない。とても誠実な人だ。

コロナ禍において週刊文春の連載を一年間受け持った文章を集めたのが本書。最初はコロナ禍の人の心について書こうとしていたが、すぐにネタが付き、それ以降は「心」を探すのがテーマになった。コロナ禍では、政治や経済などのとてつもなく大きな話ばかりが飛び交って、人は人と会わなくなり、私たちの中の小さな物語はどこかへ消えてしまった。

心とは「体、物の反対」と辞書にあったそうだ。心は体でもなければ、物でもない、そういった否定形でしか定義されない。体がひどくつらいのに、あらゆる検査をしても異常が発見されない時、初めて心が問題になってくる。心はごく個人的でない面的でプライベートなもの。あらゆる物を否定したのちに、それでも残されるものなのだ。

私たちは複雑な話を、複雑なままに聴き続けたときに、その人の心を感じる。あるいは複雑な事情を複雑なままに理解してもらえたときに、心を理解されたと感じる。表だけでなく、裏まで含めてわかってもらうと、心を若手もらえたと思える。(引用は「心はどこへ消えた?」より)

コロナ禍で、大きすぎる物語が、小さな物語をかき消した。けれど、それは完全に消失することはない。私たちは生き続けているし、日々のエピソードは起き続ける。それこそが大事なのだ。

結構な年になって、私はつくづく思うのだけれど、社会とか経済とか大きな物語はとても立派で大事だけれど、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、一人一人の持つ小さな物語は大事だ。人が自分自身として生きていくことは、何よりも大切だ。それを思い出せる本である。

作者が学校に行きたくなくて、仮病を使ったエピソードはすごく心にしみた。私も同じ子だったから。学校に行きたくない日が多かったから。そんなときは、仮病に乗って、仮治療してやればいいのだ、と知った。熱なんてないじゃない、わがまま言わないで!と叱らずに、ああ、しんどいのね、今日はごろごろしてよっか、と言っていいのだと。でも、うちの子たちは文句も言わずに学校に行ったなあ。すごいと思う。人は、時々休んでもいいのだよね、うん。

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サワキ

読書と旅とお笑いが好き。読んだ本の感想や紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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