絶望の国の幸福な若者たち

2021年7月24日

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「絶望の国の幸福な若者たち」古市憲寿 講談社

「承認をめぐる病」「さらさらさん」に紹介されていたので、読んだ本。

2010年の調査によると20代男子の65.9%、女子の75.2%が現在の生活に「満足」しているという。若者たちが感じている「幸せ」について、かなりシニカルな視点から論じられている。

読み終わって、で、結局、何が書いてあったんだっけ、とぼんやり考えてしまったのは、私の読書力、思考力のなさのなせる技ではあろうけれど。いろいろな分析、考察は興味深く、面白かったのだが、読み終えて、「で、どうしたらいいの?」と思ってしまった。そういう私自身も、「最近の若者は」みたいなことを言いたがるおばちゃんの一人である。彼の以下の様な指摘が図星だったから、ぐさっときてしまった、ただそれだけなのかもしれない。

 若者論が終わらない一つの理由は、社会学で言うところの「加齢効果」と「世代効果」の混同だ。つまり、自分が年をとって世の中に追いついていけなくなっただけなのに、それを世代の変化や時代の変化と勘違いしてしまうのである。若者論に限らず、ほとんどの「日本人が劣化した」という議論もこれで説明できる。
 さらに、若者論は自己の確認作業でもある。
「今どきの若者はけしからん」と苦言を呈する時、それを発言する人は自分がもう「若者」ではないという立場に立っている。そして同時に自分は「けしからん」異質な若者とは別の場所、すなわち「まっとうな」社会の住民であることを確認しているのだろう。
 つまり、「若者はけしからん」と、若者を「異質な他者」と見なす言い方は、もう若者ではなくなった中高齢者にとっての、自己肯定であり、自分探しなのである。(中略)
 「若者は希望だ」論は、その逆である。若者を「都合のいい協力者」と見なすことで、自分と社会の結びつきを確認しているのである。「今時の若者」も、自分と同じ「こちら側」だから、自分を含めた社会は大丈夫だ、と。
              (引用は「絶望の国の幸福な若者たち」より)

そういえば、私もそう思っていたなあ、と支配的な父親とのバトルなどを振り返って思い出す私である。遠い昔から、人は、ずっと「最近の若者は」と嘆き続けて歴史を歩んできたのだしね。突然だけど、大学時代に、「私たちの一学年下から、人間性が変わってしまった」と大真面目で怒っている友人がいたことを思い出す。そう言っていた彼女は、私の一学年下で、実は私もまさしく同じように感じてはいた。ただ、彼女とはボーダーが一年分違っていた、というところで急に目が覚めた、というか、バカバカしくなったものだ。

なんてのんびり思い出話を語ってしまったが。この絶望の時代を生きる若者も、なかなか大変なものだなあ、と思いつつ、でも、

僕はいくら「一億円トクする」と言われても、団塊の世代になりたくはない。

という彼の言葉に頷きもする私である。

2014/3/10