NHKのドキュメンタリー「アウレとアウラ」という番組を見てから、それが頭から離れません。
アマゾンの流域にイゾラドと呼ばれる文明社会と接触したことのない先住民たちが住んでいます。いくつもの少数民族がいて、それぞれに違った文明を持っています。
1987年に忽然と姿を表したアウレとアウラという二人の青年は、他の民族と全く通じない独自の言語を話しました。他に誰もいない、たった二人だけ。おそらく、部族の他の人達はみんな何らかの事情で死んでしまったのです。アウラは足が悪くて早く歩けず、アウレはそれを助けながら一緒に生活していました。たぶん、足が悪いことが、部族と一緒に行動することを妨げた結果、ふたりだけ生き残ったのでしょう。
言語学者が彼らと生活をともにしたけれど、理解できたのは800程度の単語だけ。彼らは、身振り手振りを交えて、とても良く喋ります。でも、誰にもわからない。
時が経ち、アウレは死んでしまいました。アウラは一人で、保護区に住んでいます。今もよく喋るアウラ。みんな聞いているふりをするけれど、何を言っているかはわからない。アウラは、ひとしきり喋っては、小屋に戻っていきます。
最後の一人。語る言葉を誰も理解してくれない。これ以上の孤独があるのか、と思います。想像しただけで気が遠くなる。生まれてからこれまでの彼の歴史。文明に「発見」される前の彼らの生活。 二人で助け合ったこと、語り合ったこと、そしてアウレが死んでしまったこと。もう、誰とも分かち合えない、共感し合えない。そう思うと、胸が潰れるような気持ちになります。
私は家でひとりぼっちで過ごすこともあるけれど、家族が帰ってくれば、話すことができる。何を思っているのか、何をしてきたのか、互いに共有し合える。それが、どんなに大事なことか、豊かなことか、救われることか、今まで考えもしなかったけれど、アウラを思うと涙が出そうになります。
宮田珠己が「絵は描けないのだろうか」と言っていたけれど、私には無理だろうなあ。絵心、無いもの。アウラに絵を誰か教えることはできないのだろうか。文明を教えてしまうことがすでに禁忌なのだろうか。
しあわせってなんだろうとか、孤独ってなんだろうとか、文明って、生きるって、と、いろんなことを考えてしまって、毎日、一度はアウラを思い出します。アウラを思うことが、自分の人生を考えることにつながっているのです。
2018/12/28