144 松下竜一 講談社
「豆腐屋の四季」以来、松下竜一を読みたいと思っていた。この作品は、大杉栄と伊藤野枝の遺児たちの一人、ルイズの評伝である。講談社ノンフィクション賞受賞作。
伊藤野枝には興味がある。「村に火をつけ、白痴になれ」と「風よあらしよ」を読んだし、彼女の恋敵、神近市子の本も読んだ覚えがある。
伊藤(大杉)野枝は、とても存在感のある女性である。彼女は十六歳の時に、不孝者と呼ばれるのを承知で親の決めた嫁ぎ先から逃げた。我慢して結婚生活を続け、親孝行と褒められたとしても
私はそんな嘘は自分という者に対して本当に恥ずかしいことだと思います。(中略)まるで他人のために生きているようではありませんか。自分のものと決まった、何人も犯すことのできない体や精神を持っていながらそれで他人の都合や他人のためにその体や精神をむざむざと委してしまうのは意気地がないというよりはむしろ生まれた甲斐がない生き甲斐がないというより他仕方がありません。
と従妹への手紙で書いている。あの封建的な時代に、まだ十代の若さでこれだけのことを考え、実行した女性がいた、ということに私は感動すら覚える。
彼女は、夫の大杉栄と共に関東大震災で甘粕憲兵隊長に惨殺された。残された四人の子どもたち、中でも四女ルイズに焦点を当てて、その後の人生を描いたのがこの作品である。作者の松下竜一は、市民運動の中でルイズと出会ったらしい。そして、一年半にわたる取材の後、この作品を書いた。取材の終わりに「今だから白状しますけど、一時はあなたの顔を見るのも嫌でした」とルイズに言われたという。書かれることの痛苦をこえて、事実を語りつくしたルイズの思いを受けた作品なのである。
大杉と野枝は、周囲からさんざん批判を受けながら結婚し、子をなした。悪魔のようだと言われた我々の子ならいっそ「魔子」でよいだろう、と長女が名付けられた。その後、社会活動家の名前を貰ったエマ、ルイズ、ネストルの三人が生まれている。四人は両親の死後、故郷に引き取られるに際し、真子、笑子、留意子、栄と改名して入籍されている。彼らの遺体は野枝の故郷に埋められたが、なんと大杉の埋葬許可は下りず、野枝一人を埋葬したことにして、墓標には野枝の名前だけが書かれた。しかも、その墓標もたちまち誰かに抜き取られてしまったという。
そんな非難を浴びながらも、無政府主義者の仲間たちから慕われ、信頼されていた大杉や野枝である。遺児たちを養子にしたいという申し出も多数あったというが、野枝の母、ウメが下の三人を引き取り、魔子は叔父に引き取られた。
大杉の同志たちが警察に引っ張られ、何とか逃れて帰る道すがら、大杉の長女、魔子についてこんな話題が出たという。
「どうだい、僕ら三人のうちで、だれか将来、彼女と結婚したらすばらしくないか。大杉と野枝の子だよ。きっといい素質をもっているよ。僕はあの子を平凡な男と結婚させたくないな。もったいないものね。」
これは、彼らの軽い笑い話だった。だが、後年、魔子は平凡な男との結婚生活を捨て、七歳年下の男のもとに走る。それは、この時の三人のうちの一人の息子であったらしい。それが、この時の話題のなせる業だったかどうかは、今となっては明らかではない。が、少なくともその「笑い話」を知ったルイズは、犬や猫ではあるまいし、と腹立たしかったという。
「豆腐屋の四季」で私は、弱者の味方であり市民運動の旗手であった松下竜一が年若い妻に対してひどく支配的でありながらそれに無自覚であったと指摘したが、このエピソードにも、革命家を自任する男たちのおんなこどもに対する無自覚な支配的意識、傲慢さを感じる。どんな人間にも意思はあり、自己決定する権利があるということを、ひとは大義の前に忘れることがある。野枝という強い意思をもって短い人生を生きた女性を思うとき、そのごく身近な人々すら女性の尊厳に無自覚であったことに愕然とする。
ルイズは、大杉と野枝の子であることを隠し、後ろめたく思う子供時代を経て平凡な結婚をする。が、徐々に両親のことを知り、留意子という名を「るい」と書き「ルイ」と書き、ついには「ルイズ」を称するようになる。その過程において、様々な歴史があった。甘粕のいる満州にそれと知らず移住して尾行が付いたことも、公民館の講師に推薦されながらも「親の思想が悪い」という理由で却下されたこともあった。酒飲みの夫がギャンブルに走り、巨額の借金を作り、それを必死に返し続けてついには離婚に至った。不出来な夫を支えて自分のやりたいことも我慢し続ける、女性の理不尽を味わい続けた先に、初めて両親の子であることを明らかにし、自分を生きることに到達した人であった。野枝が跳ね返そうとした旧弊な時代の体質に、ルイズもまた押しつぶされつつも、そこから何とか立ち上がろうとした女性であった。
最初は読みにくい本であったが、途中からぐいぐいと引っ張られ、のめり込むように読んだ。それは、大杉と野枝の子という事実を離れ、ルイズという一人の人間の生涯に引き込まれたからこそであったと思う。歴史は何度も同じようなことを繰り返し、人は何度も同じような失敗を繰り返しながらも、それでも少しずつ成長する。そんなことを思う本であった。
(引用はすべて「ルイズ 父に貰いし名は」より)