路上のX

2021年7月24日

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「路上のX」桐野夏生 朝日新聞出版

新幹線の中は、読書が進む。最近、のっぴきならない用で新幹線に乗ることが多い。心が重かったり、疲れたり、気持ちを奮い立たせたりせねばならないのだが、少なくともたくさん本が読めるという点はありがたい。とは言え、この本は、重かったなあ。疲れて帰る車中で読むにはあんまり向いていなかったと思う。

渋谷のいわゆるJKビジネスをモチーフにした作品。追い詰められ、行き場を失い、守ってくれる大人もいず、信頼した人にはことごとく裏切られ、傷ついた上にも傷つけられた女子高校生たちが、肩寄せあって、不器用に助け合いながら生きていこうとするけれど、それは困難な道であって・・・という物語。もう、つらい、つらすぎる。

セクハラとかレイプとか、最近は話題にもなるし、非難もされつつあるが、やる側は、なんにも分かってない、とつくづく思う。ほんのちょっと前まではそれらは親告罪で、その制度の上にあぐらをかいて、やりたい放題やって、何も悪いと思っていない奴らがたくさんいて、今だって、そんなの犯罪でも何でもないと心から思い込んでいる人たちがたくさんいて。女の子たちが、女の子であるというだけで、こんなにつらい思いをせねばならないのかと思うと、苦しくなる。

人間には想像力があって、だからこそ、「A=BならばB=A」がわかる。と養老孟司池谷裕二の本で読んだばっかりなんだけれど、JKにカネさえ払えば何でもできる、JKはビジネスの道具だと思っている人たちは「A=BならばB=A」も本当にはわからない。人の苦しみを自分の心に再現してみることがこれっぽっちもできない。それでも人間なのか。人間って、誰でも想像力をもっているのではないのか。それは、誰かに育ててもらわないと持つことすらできないものなのか。

読んでいるうちに、JKを遥かに超えて、いろいろなことをぐるぐる考えてしまう。人の心の苦しみを想像する力を、最初から持たない人間もいて、そういう人は非難されるべきなのか、人間ではないのか、と「コンビニ人間」はむしろそっち側から問うている。それに共感する自分もいる。

誰もが人間だ。ハラスメントを受けたり、レイプされれば心も体もずたずたに傷つく。それをこれっぽっちもわからず、平気でやってしまう人間も人間だ。そういう犯罪だけでなく、なんの悪意もなく、相手の気持を汲まないで行動して、相手をの心を萎縮させていく人もいる。それこそが、彼にとっては一生懸命真面目に生きているだけのことであったりもするから、この世は難しい。

人は、幸せであるほうがいい。誰かが不幸になりそうなことは、できるだけしないほうがいい。ただそれだけのことが、なんと大変な難しいことなのか、と思考は最後にはそんなところに行き着いてしまう。でも、どうやって。どうすれば。

年若い子が、子供が、未熟なまま放り出されることの辛さ苦しさ悲惨さ。それは「43回の殺意」でまざまざと突きつけられたことでもある。フィクションも、ノンフィクションも、たぶん、全部現実を投影してできている。大人は、子供を守らねばならない。それだけのことが、いまだにできていないということ。世界は矛盾に満ちている。それしか、今は考えられない。私は大人なのに。

2018/5/18